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源信 Archive

第十四回 「源信その二」・・(平成19年4月1日)

 前回のコラムで、「二十五三昧会」の取り決めごと『横川首楞厳院二十五三昧起請』十二箇条を掲載しました。今回は、起請に見られるお墓と葬送に関する言葉について、書いてみたいと思います。
 

まず、「光明真言」による土砂加持です。
 『不空羂索毘廬遮那仏大灌頂真言一巻』というお経に、次のような言葉があります。 「もし過去にどんな重罪を犯しても、この真言を二、三、七遍聞くだけで、たちまち一切の罪障は除滅される。…もし人が重罪を犯して地獄や餓鬼など諸悪道に堕ちてもこの真言を百八遍唱えて土砂加持をし、使者の遺体の上に撒けば、この真言の神通力で、一切の罪障は除かれ、西方極楽浄土に往き、蓮華の花に化生して菩提を得ることができ、決して諸悪道に堕ちることはなくなる。」 源信の『起請』や先の良源の『御遺告』は、この経典に依っていることがよくわかります。この真言は、真言宗で最も重要視されただけではなく、浄土宗でも重んじられたようです。鎌倉時代の代表的な仏教説話集『沙石集』に、興味深い説話がありますので、大雑把に紹介します。

 

ある浄土宗の学僧が「亡き人の魂の菩提を弔うには、どの教えが勝れているか」と朝廷より質問を受けます。僧は「宝篋印陀羅尼」と「光明真言」が勝れていると答えます。弟子はこの返答を聞いて不満に感じ、「念仏こそ広大な善根、無常の功徳なはず、師は浄土宗の僧なのに、どうして他宗の教えを誉めるのか。」と疑問をぶつけます。 これに、僧は次のように答えます。「念仏して願いがかなうのは、すべて念仏に善根の功徳があるからで、ほかの教えもかなわない。しかし地獄に落ちるほどの重罪人が往生するには、高僧に会って十念を唱えて、初めて極楽に生まれることができる。そのような機会のない重罪人の子孫が、宝篋印陀羅尼を七遍くり返して廻向するだけで、重罪人は極楽へ生まれ変わり成仏できる。光明真言は、地獄に堕ちて苦しむ死者の魂に、この真言を一遍唱えて廻向すると、阿弥陀仏が極楽世界へと引導する。また、亡き人の墓所で、この真言を四十九遍唱えて廻向すれば、阿弥陀仏はこの霊を背負って極楽世界へと引導する。またこの陀羅尼を見て土砂を加持すること一百八遍、土砂を墓所に散らし、死骸に散らせば、土砂から光が放たれ、霊魂を救って極楽へと送る。これらにはいずれも典拠となる経典や解説書があるのだが、念仏にはこうした明確な典拠がない。だから念仏のことは答えなかったのだ。

 

各宗派のお墓に「宝篋印塔」が建てられる理由、「光明真言」をはじめとする陀羅尼やお経をお墓に収める意味、墓地の地鎮祭に光明真言で清めた土砂を用いたり、一部の地域で見られる、葬儀の際に使者や棺桶に「御土砂」をかける風習、これらの意味は、この話から理解されるかと思います。 次に、墓所の「安養廟」について見ていきましょう。

 

安養廟は、今回取り上げた十二箇条の『起請』より前、慶滋保胤が撰した『起請八箇条』では「花台廟」と書かれています。いずれも二十五三昧会の墓所の名前で、「安養」とは「浄土」のこと、「花台」はおそらく「蓮華台」のことと思われます。 『起請』の当該箇所の解説を読むと、高僧に墓所を占ってもらい、陰陽師を招いて地鎮法をおこなわせ、卒塔婆を一基建てて真言でその地を鎮めなくてはならない、と記載されています。当時は映画でもおなじみの陰陽師が活躍した時代で、日時や方位の吉凶に病的なほどこだわった時代ですが、その影響か、本来占いとは無縁なはずの僧侶が、墓地に限っては占いをおこなってます。もっとも、『日本書紀』仁徳天皇の頃から墓地を占う記録は残っていますので、日本の伝統習慣を踏襲しているとも考えることができます。 また、源信『起請』も慶滋『起請』のいずれにも卒塔婆一基を建てることが記載されています。これは源信の師・良源の「御遺告」を踏襲したものと思われますが、お墓の慣習として考えると、この二十五三昧会の『起請』が「骨を修めないお墓」としての「供養塔」の原点となるのではないでしょうか。

 

「追善供養」についても、良源の「御遺告」が、弟子の墓参を想定していたことを踏襲したと考えられます。井上光貞『日本古代国家と仏教』(岩波書店)では「二十五三昧会は、生者と死者からなる結縁衆の念仏・追善の結社であった」とあり、速水侑『日本仏教史・古代』(吉川弘文館)には「保胤の『八箇条起請』は…『往生要集』に見られない葬送追善の行儀の規定も含んでおり…結社の死者の葬送追善の問題は避けて通れなくなった」とあります。現在私たちがおこなっている追善供養の原点はまさにここにあると言えます。 そして、これは重要なことですが、源信自身は「観想念仏」を重視していましたが、追善の際の念仏はどうしても皆で声を挙げて唱える「称名念仏」にならざるを得ません。臨終・葬儀の際の「称名念仏」といえば空也が思い出されます。空也と源信・保胤との関係については、『今昔物語集』や『発心集』といった史料には、師弟関係にあったことを示す記載が見られます。直接的に関係があったかどうかは定かではありませんが、二十五三昧会の活動に、良源以外の先達の功績が取り入れられていることは明らかに見て取れると思われます。

第十三回 「源信その一」・・(平成19年3月1日)

 いい加減しつこいと思われるかも知れませんが、鎌倉仏教全体に見られる特徴として「仏教の複雑膨大な教えの中から、人々が本当に救われるエッセンスを抽出し、教え広めた」ことが挙げられます。そして、多くの宗派が、平安末期に盛んになった浄土教の教えや精神を反映して生まれてきたことも、すでに何度も述べてきました。

 源信(942~1017)は、浄土教の生みの親とも言える存在です。その著作『往生要集』は、日本浄土教のバイブル的存在と言えます。まずは序文より、その大まかな内容を見てみましょう。原文は漢文ですが、なるべく平易な文章に改めてみました。

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 往生極楽の教えとその実践は、濁世と末世には目となり足となる。出家者も在家の者も、また身分の貴賤も問わず、誰も皆最後はここに行き着く。だが顕教と密教の教えは必ずしも同じではなく、仏や浄土を具体的に観想するにも、仏の教えを理論的に観想するにも、非常にたくさんの実践法があって、知恵の優れた者や精進できる者は難なくできるだろうが、私のような頑迷で愚かな人間にはとてもそんなことはできない。だから『念仏』だけの分野にしぼって、わずかだが教典や論書から肝心な文章を集めた(これが書名の由来)。これによるならわかりやすく簡単に実践できるだろう。全体を十章、全三巻に分けた。

  一、厭離穢土(穢れたこの娑婆世界を厭い離れることについて)
  二、欣求浄土(極楽浄土に生まれることを願い求めることについて)
  三、極楽証拠(極楽をすすめる典拠について)
  四、正修念仏(正しい念仏の実践について)
  五、助念方法(念仏を助ける方法について)
  六、別時念仏(特定の期日におこなう念仏について)
  七、念仏利益(念仏によって受ける利益について)
  八、念仏証拠(念仏をすすめる典拠について)
  九、往生諸業(極楽往生するための色々な実践法について)
  十、問答料簡(問答による疑問点の解明)

これを座右に置いて、忘れないようにしたいものだ。」

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 四万八千巻とも言われる、膨大な仏典の中から、念仏往生に関わるエッセンスだけを取り出し、貴賤を問わず極楽浄土へ至る道を解き明かす。こう書かれた序文に、その後の鎌倉仏教に共通する精神を読みとることができるかと思います。

 さて、源信の唱えた「念仏」は、大きく「平生の念仏」と「臨終の念仏」の二つに分け、とりわけ「臨終の念仏」を重んじました。「臨終」とは言うまでもなく死の間際のこと。臨終の時に念仏をすすめること(臨終観念)を重視して、自身の臨終の際の心得にも書き記しています。彼のこうした「臨終行儀」の尊重は、すぐに大きな反響を呼び、賛同する僧侶や在家の貴族ら二十五名により、『往生要集』が完成した翌年(985)には、すでに念仏往生を願う結社「二十五三昧会」へと繋がります。

 「二十五三昧会」は源信と、『日本往生極楽記』の著者、慶滋保胤が中心となって結成された念仏結社です。会の講式(取り決めごと)は慶滋保胤らによって何度か出されますが、最終的には源信の『横川首楞厳院二十五三昧起請』十二箇条にまとめられます。この内容は、後に日本全国で臨終から葬儀・お墓のあり方に大きな影響がありました。なので、少々長くなりますが、以下に現代語訳の要旨を掲載したいと思います。

  一、毎月十五日の夜に「不断念仏」をおこなう。
  一、毎月十五日正午を過ぎたら念仏をし、それまでは『法華経』を講じる。
  一、十五日夜に集まった人の中から順番を決めて仏前に灯明をささげる。
  一、『光明真言』で加持した土砂を死者の遺骸に置く。
  一、二十五三昧のメンバーは、互いに永く父母兄弟の気持ちを持つ。
  一、二十五三昧のメンバーは、これを発願した後は、身・口・意の三つの行い(三業)を慎まねばならない。
  一、メンバーに病人がでたときは、心を配ってやる。
  一、メンバーに病人がでたときは、当番を決めて看護し、見舞いをする。
  一、小さな建物を建てて、これを「往生院」と名付け、病人を移すこと。
  一、あらかじめ優れた土地を占っておいて「安養廟」と名付け、卒塔婆一基を建てて、我らメンバーの墓所とすること。
  一、メンバーに死者がでたときは、葬儀をおこない、念仏を唱えること。
  一、この取り決めに随わず、怠ける者があるときは、メンバーから外すこと。

 二十五三昧会は、極楽浄土への往生を願う仲間達が、横川首楞厳院で、念仏と『法華経』購読を中心とした信仰生活を送り、結束の固い同志意識のもと、病人の処方・臨終時の対応・墓所や墓の準備・埋葬方法とその根拠・死後の「往生の確認」とその対処について、綿密に連携した組織として活動しました。

 さて、これらの史料の中に見える、お墓や葬儀に関する記述については、少々長くなりますので、次回、触れたいと思います。

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