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2015-01

儒教にとっての先祖

古代の中国は、アジア圏において先祖祭祀において先進国であった

近隣の、日本や朝鮮半島が、先祖祭祀をないがしろにしていた…というわけではなく

先祖祭祀や、祖先崇拝の習慣は存在していた

中国が先進国である…という意味には

先祖祭祀や、祖先崇拝を思想として体系化し、それを記録に残していた…という意味である

この概念から考えると、日本や朝鮮半島は、先祖祭祀における後進国であると言わざるをえない

古代中国は、現代まで約3000年以上もの間

家庭生活はもちろん、政治にいたるまで常に先祖祭祀や祖先崇拝は重要な行事であり、正当性を持って行われてきた

ここでの中国の先祖祭祀や祖先崇拝と比較のため

儒教の先祖祭祀や祖先崇拝と比べてみる

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは

儒教は、カテゴリーとして「宗教」には属さないと考え

儒教は、世俗社会の「道徳倫理」であると解釈している

以下、マックス・ウェーバーの言葉を引用する

「救済の思想などは、儒教的倫理にはもちろんまったく存在しなかった。

儒教徒は、社会的な無作法というあさましい野蛮から救済されること以外に、霊魂の輪廻からも、あの世で受ける殃罰からも(両者を儒教は知らなかった)、生からも(これを儒教は肯定していた)、与えられた社会的世俗からも(この世俗のチャンスを儒教は自制によって抜け目なくものにする考えだった)、悪または原罪からも(原罪というものを儒教は知らなかった)、その他のなにかあることからも、「救済」されることを願わなかった。「罪」であると儒教にみなされることができたのは、ただ、孝弟というひとつの社会的な基本義務の侵害だけであった」

このように、儒教は、現実生活での倫理に従い義務として

先祖祭祀や祖先崇拝を行ってきた

先祖祭祀が死後の問題として、死後の世界が思想的に深められることはなかったので

儒教は、宗教ではない…という考えである

仏教は、輪廻転生や因果応報の考えで

儒教の欠陥を補った形になったのだが

そのような基本問題が儒教の先祖祭祀や祖先崇拝には見られないのである

人と神の区別はどこからされるのか

古事記は、神の誕生から日本が生まれ
神々が生まれて、天皇家ができていく話である

基本的に、皇族は人間であるとされているが
どこからどこまでが神であり、人間であるのか…

神の時代が終わり
人間としての歴史が始まったのは
神武天皇の時であろう

 

そもそも「天皇」の存在自体が
「葦原中国を治めるために高天原から降り立った現人神」なのである

 

だから天皇は、人の姿をしているが神であり
その現人神が子孫を作り、人の歴史になっていったのである

 

だが、この話には諸説あり
神武天皇から9代目までの天皇は実在していたかが
不明確である…とする見方もある

神武天皇などは、あくまでも伝説上の人物であり
実在していた証拠がなく
存在そのものを疑う学者も少なくない

 

しかし、実在したかどうかは別にして
古事記の中で、最初の人間は神武天皇で間違いないだろう

 

古事記の神々は死ぬことがない
言い方を変えると、死んだとしても黄泉の国へ行くだけである

だから、神々は永久に存在しつづける

 

しかし、神武天皇からは
その寿命や、墓の場所まで明記されているので
「死を迎えた」=人間である
…と解釈されている

 

神武天皇は、137歳まで生きたと記されている
ちなみに2代綏靖天皇は45歳、3代の安寧天皇は49歳で亡くなったと記録されている

この区別の方法は
死ねば人間、死ななければ神
…という大雑把なものだが
実際には、日本において神と人間の境目は曖昧なものなのである
神が人間になったり
人間が神になったりするからだ

様々な尊敬される多くの歴史上の人物が
死後には、神として祀られたりもしており
その存在に、畏敬の念を抱く事で
その存在は、神になったりもするのである

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