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2012-06

功徳と供養の関係性

功徳とは、様々な解釈があるが

仏教の中では、どうのように解釈されているのであろうか

 

「仏教学辞典」によると

「功徳」とは、「勝れた結果を招く功能(=能力)が善行行為に徳として具わっている」

と書かれている

簡単にいうと「良い結果を生む元になる行い」ということである

 

良い行いをすると、その情報が蓄積され

良い結果として返ってくるという因果応報の考えである

 

この功徳を身に付ける最善の方法が

仏教の中では、供養することであると言われている

 

しかし、これだけ多くの仏教の解釈が発生していると

その供養ですら、様々な解釈が発生してくる

 

この場合は「岩波仏教辞典」の解釈を引用する

まず、供養とは

●     仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者などに香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げること

●     死者の冥福を祈る<追善供養>やそのために卒塔婆をたてる<塔婆供養>、餓鬼に食物を施す<施餓鬼供養>…その他、<開眼供養><経供養>などがある

 

どのような供養であれ、死者に対する供養が、功徳を得るための最善の方法であると認識できていればいいのである

 

ここで、供養に用いられる物を紹介しておく

「六種供養」と呼ばれていて

その六つは「水(=閼伽)・塗香・花(=花曼)・焼香・飲食・灯明」となっている

ただし、現代は、塗香はほとんど用いることはない

 

これらは、私達がお墓参りをする時に

今でも、よく用いられているものである

その中でも、花に関しては歴史が古く

死者に花を捧げることは

六万年以上も前から行なわれていたという文献もある

 

死者の家族は追善供養によってたくさんの功徳を積み

その功徳を、今度は亡き人に幸せのためにふり向ける

 

これが、回向である

 

まず、人が亡くなったなら

お葬式をして、お坊さんが修行で身につけた功徳を亡くなった人へとさし向け

死者は、仏様となり、浄土へ往生させる

 

そして中陰の四十九日間は、お坊さんに何度か読経してもらい

供養のお手伝いをしてもらう

 

そのうち、家族だけの追善供養へと徐々に移行していく

 

しかし、ここで一つ疑問がでる

お坊さんの読経により、死者が仏様となり浄土を往生できたなら

なにも、追善供養までする必要はないのではないか?…と

 

それは、民俗学でいう「死霊の浄化」の考え方と深く結びついているのである

功徳と回向の思想

インドの小乗仏教においては

自分の修行に膨大な時間をかけ

その結果、如来(=仏)となって初めて人々を救うことができるものだった

 

しかし、大乗仏教は、功徳を回向する慈悲と救いの論理があり

仏や菩薩にならなくとも、誰でも「供養」という「浄業」によって福徳を積むと

自分だけではなく、他人をも救うことができる「功徳」の力が生まれる

それを、亡くなった家族などに差し向けること…つまり「回向」ができるようになる

その結果、仏教では誰もが望む最終目的である「成仏」が可能になった

 

このインドの思想が中国の「先祖祭祀」と融合し

日本に伝わり、それを受け入れてきた日本では

死者の全てを成仏させる発想の庶民仏教となっていった

 

ここで、庶民仏教に大きな役割を果たす

神社の「お祭り」と、仏教の「先祖供養」との決定的な違いについて説明したい

 

「お祭り」を行なうには、そこにはすでに神様がいることが前提となってくる

それでなければ、お祭りは成り立たない

しかし、仏教には神が最初から存在するわけではなく

死者の浄化を待つこととなる

亡くなった人を神とするには、死者の穢れの「死穢」を長い時間をかけて浄化する必要がある

霊が完全に浄化するまでの期間は

人でもなく、神でもなく、とても不安定な状態で存在していることになる

人々は、この長い年月を待つ以外に方法が無かったのである

 

しかし、この問題を庶民仏教は解決することになる

問題が簡単に解決したわけではないが

日本古来の文化や民間信仰などが長い時間をかけて少しずつ習合していき

その結果として、短期間で仏になる思想となっていったのである

 

そこに大きな功績を残したのが、「功徳と回向」の思想だったのだ

 

その仕組みはこうである

 

まず、人が亡くなったら、その霊はお坊さんに仏弟子にしてもらい

お坊さんによる読経や引導などの葬式の、様々な儀式を経ることで

死者は、仏になるのである

 

この段階の死者は、古来の民俗学に沿って考えると

穢れが多く残る死霊の状態なのだが

庶民仏教では、死後の葬式を行なうことによって

死者の罪も煩悩も穢れも消し去り

悟りの状態となり、仏様として浄土への往生を可能にしたのである

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