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2017-04

皇太子の禁断の恋

実兄二人が皇帝となった男浅津間若子宿禰命は仁徳天皇の第4子だった
男浅津間若子宿禰命は体が弱く長く病床についていたので
皇位継承を断っていた
しかし妻たちの説得に応じるかたちで第19第允恭天皇となる

この皇位継承問題に関しては背後に外威として政権を支えていた
葛城氏の思惑もあったと言われている

允恭天皇は新羅王が派遣してくれた薬に詳しい金波鎮漢紀武(コムハチニカニキム)によって病も癒えた

允恭天皇は皇位に就くと
臣下や豪族の氏姓を正すことに着手した

臣下や豪族の中には
古くから朝廷を支えてきたとウソを言って
よりよい氏姓を獲得して出世しようとたくらむものが多くいたからだ

甘樫の丘(現在の奈良県明日香村)にある甘樫坐神社に群臣を集め
煮え立つ釜の中に手を入れる盟神探湯の儀式を行い真偽を占った
これによって、偽りの氏姓をかたる豪族はいなくなった

允恭天皇には9人の子がいた
允恭天皇は最年長の木梨之軽太子(キナシノカルノミコ)を皇位継承者として皇太子とした

しかしこの木梨之軽太子は愛してはいけない人を愛していた
同母妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)である
この時代の皇族は、異母兄弟との間であれば問題にはならなかったが
同母妹は決して許されない間柄だった
このスキャンダルが世間に知れ渡ると
木梨之軽太子は次期天皇には相応しくない人物と見られ
人々の信頼は無くなっていった

允恭天皇が亡くなり皇位継承問題が浮上すると
木梨之軽太子の弟である穴穂命(アナホノミコト)に次期天皇としての期待が集まった
その動きに反発した木梨之軽太子は
大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネ)の家に駆け込み武器を用意した

その動きを封じるために穴穂命は屋敷を囲んだ
木梨之軽太子は降伏し
伊予の湯(現在の松山の道後温泉)への流刑の処分が下された

流される木梨之軽太子は残された軽大郎女に歌を詠んだ
「鶴の声が聞こえたら私の名前を口にしてほしい」と

軽大郎女は木梨之軽太子のもとへ向かい
めぐり合えた二人は世をはかなみ死を選んだ

仁徳天皇とその皇子たち③

聖帝と呼ばれた仁徳天皇が亡くなると
その長男の大江之伊耶本和気命(オオエノイザホワケノミコト)が後を継ぎ天皇となった
第17代履中天皇である

履中天皇が父である仁徳天皇の宮を引き継ぎ難波の宮で眠っていると
弟の墨江中王(スミノエノナカツミコ)が宮に火を放ち
履中天皇を葬ろうとした

臣下の阿知直が履中天皇を馬に乗せて、何とか宮を脱出
天皇一行は安全な大和を目指した

埴生坂(現在の大阪府羽曳野市)までやってくると
遠くに難波の宮が赤々と燃えあがっているのが見えた

大和に近い大阪の山口(現在の二上山北の穴虫峠)に到着したとき
ひとりの女が敵が峠の上で待ち伏せていると忠告した

履中天皇たちは南へ迂回し当芸麻道(現在の竹内街道)から入り
石上神宮にたどり着いた

履中天皇の身を案じ
もう一人の弟である蝮之水歯別命(タジヒノミズハワケノミコト)が
石上神宮へ駆けつけた
だが履中天皇は墨江中王に殺されそうになったことで
疑心暗鬼になってしまい蝮之水歯別命を信じることができなくなっていた
蝮之水歯別命は墨江中王を倒して潔白を証明しようと難波に向かった

蝮之水歯別命は正面から攻撃しても勝ち目はないと考え
墨江中王に仕える曾婆加里(ソバカリ)を裏切らせて
墨江中王を亡き者にした
反乱を鎮圧することに成功した蝮之水歯別命は
大和に戻る途中で主人を殺した罪で曾婆加里の首を切った

その土地のことを難波の宮に近いことから「近つ飛鳥」(現在の大阪府羽曳野市飛鳥)と呼
戦いの穢れを清めるために大和に戻ってから禊を行い
その場所を「遠つ飛鳥」(現在の奈良県髙市群明日香村)と呼んだ

この反逆から履中天皇は難波を嫌い
宮を磐余(現在の奈良県桜井市)に移し国を統治した

やがて履中天皇が亡くなると蝮之水歯別命が皇位を継いで反正天皇となる
そのあと反正天皇の弟の男浅津間若子宿禰命(オアサツマワクゴノスクネノミコト)が
允恭天皇となり
仁徳天皇と石之日売の子どもが
3代続けて天皇となった

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