Home > Archives > 2016-01

2016-01

穢れ、喪に服す

喪の穢れを忌み嫌う…という感覚は

現代社会において、どのくらい残っているだろうか?

 

近しい人の死に対して

現代は、1年は喪に服すと言われているが

昔に比べれば、その行動の制限は軽くなってきているように思われる

 

現代は、日常生活が経済活動を基盤としているためか

喪に服す行動の制約が、大きな弊害となることは否めない

そんな現代の都合上、「喪の穢れ」…などと悠長なことを言っていると

生活がままならなくなるからだろう

 

そして、たとえ行動が制限されなくとも

死者を悼む気持ちに変化はない…と言い切ることが難しいのも現実である

 

簡素化された死者に対する儀式―

当然、先祖に対し思いをはせる時間も少なくなり

瞬く間に、日常と変わらぬ生活を送っている

その結果、家から死者が出ること事態が

昔に比べて、大事になっていないのだ

 

行動があるから思いがあるのか?

思いがあるから行動になるのか?

 

どちらにしても、現代の行事様式では

先祖に対する「思い」が軽くなっていること間違いないだろう

 

時代や、地域によっても大きく違ってくるが

死者に触れたものは「穢れ」と扱われ、生活上で大きな不便を強いられる

 

極端な場合には、隔離されたり

死者に触れたものが、別の者と接触した場合にも

二次感染的な扱いをされて

「穢れ」は、一種に伝染病のような扱いもされていた

公式行事(朝廷の儀式)に携わるものは

身内に死者が出た場合には

職務に関わることも許されず

一定の期間が過ぎるまで、謹慎状態となった

 

当然、めでたい席、晴れの行事に関わることは許されず

正月も、通常のように迎えることができない

喪に服しているものは、人様のしめ縄をくぐることは禁止され

そのかわりと言ってはなんだが

正月を迎える前に、お見舞いという形で訪問を受ける

「あら年(死者を出した年)の見舞い」である

 

見舞いの言葉は

「本年は存じも寄りませぬあら年でお淋しゅうございます」

「ことしは誠にお淋しいお年取りでござんす」

などと言われていた

 

めでたい年始のあいさつができないことに対する嘆きでもあるのだが

そちらは死者だ出たので、めでたい行事ができないが

私達は、淋しさに付き合いもせず

お祝いをしてしまうけど、悪く思わないでくださいね…

というニュアンスも含まれていたという

 

近年は「あら年」という言葉も使われなくなってきていて

死者を出した家…という疎外感も感じることがなくなった

 

生活が便利になればなるほど

死者に対する行いは、簡素化されていくようにも思われる

本家と分家のお正月

「年始の挨拶」というものを最近はあまり見なくなってきたが

以前は、正月の朝に、お世話になっている人々に

新しい年もくれぐれもよろしくお願いしますと出向く光景が多く見られた

 

地方によっては、身内以外の人々の家に正月早々に突然訪問することを憚られる傾向もあるが

本家を守っている家などでは、現在も分家や、仕事上の交際相手が訪問してくることを前提として、祝い酒や、もてなしの料理を不足なく用意している家も見られる

 

しかし、正月はあくまでも「内で祝うもの」として

身内以外への年始の挨拶は、3月中に終わらせておくのが良いとか

場合によっては、6月までには一度は訪問しておくのが礼儀である…など

年始の挨拶は、元旦に限ったことではなく

年が明けて、最初の訪問日を「年始の挨拶」と解釈する風習もあるのである

 

四国の中央の山地のかなり広い地域では

「本家への年頭礼」を「かど明け」と名付けて

一家一統の厳重な作法としている場所もある

 

同じ風習は、ほかの地域でも見られ

元旦の早朝(おそらく日の出前)に分家のものが本家に出向き

本家の表の戸を開く風習を「門明け(かどあけ)」と呼ぶ場合がある

これは、初春の神を本家に招き入れる意味があったようだ

 

近年では、その後に本家が分家に出向き

門を開けにいく地域もあるようだが

これは、本家、分家の交際を「七分三分にしよう」という考えで

改良された、比較的新しい風習のようである

 

しかし、本家の者の訪問は

分家の訪問の後になっていたようなので

本家に開けてもらうまで、門を開けずに待っていたのでは

あまりに時間が遅すぎるように思われるので

この風習は、形上のものであって

本質は、両家で行き来して、祝い酒を酌み交わすのが

「門明け」の正体になっていき

だんだんと、その名に沿った行動がなくなり

名前だけが残るので、なんとも不明な感じは否めなくなる

 

長野の方では、分家のものが注連縄を持参し

本家の神棚に張り渡すことを「門開き」と呼んでいた

正月の飾りは、大晦日に飾ることを「一夜松」と呼んで嫌う風習もあるので

正月の、2、3日前には飾ることを考えると

この場合の「門開き」は、正月ではなく、年末の行事として捉える方が自然である

Home > Archives > 2016-01

 

このページのTOPに戻る