Home > Archives > 2016-06

2016-06

欠史八代~実在しない天皇~

初代天皇である神武天皇の死後、子ども達による権力争いが生まれる

子ども達の最年長にあたる多芸志美美命(タギシミミノミコト)が権力を握ろうとする

 

父の皇后であった義母の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を妻にして
邪魔になる伊須気余理比売の子…つまり多芸志美美命の3人のしようと企てた

その計画を知った伊須気余理比売は子ども達に、そのことを歌で知らせた

驚いた3人の子のうち次兄の神八井耳命(カムヤイミミノミコト)と末弟の神沼河耳命(カミヌマカワミミノミコト)が多芸志美美命を排除しようと立ちあがった

 

しかし神八井耳命が武器を手にしながら
多芸志美美命を前にすると弱気になってしまい討つことができない
見かねた神沼河耳命がかわって多芸志美美命の命を絶った

何もできなかった神八井耳命は弟の勇気に敬意を払い

神武天皇の後継者として神沼河耳命を立てることにした

 

こうして2代目天皇の綏靖(すいぜい)天皇が誕生する

 

その綏靖天皇の死後は、その子どもである安寧(あんねい)天皇が即位した

 

そして、その後は
4代 懿徳(いとく)天皇

5代 孝昭(こうしょう)天皇

6代 孝安(こうあん)天皇

7代 孝霊(こうれい)天皇

8代 孝元(こうげん)天皇

9代 開化(かいか)天皇

 

と続く

 

しかし、この2代目の綏靖天皇から9代目の開化天皇までは
古事記だけではなく日本書紀でも

ごく簡単なことだけしか語られていない

内容も、妃の出身や御子、皇族から派生した氏族、宮や陵墓の場所程度である

統治内容などに関しては一切語られていないため

この天皇たちのことを「欠史八代」と呼ばれている

 

この天皇たちのことについて書かれていない理由について

架空の存在である…という説が濃厚である

各種発掘調査の結果もその結論を裏付けていて
推古天皇のころに創作されたフィクションであると言われている

史実の上で実在が確かだと言われているのが
10代目の崇神天皇である

 

この「欠史八代」は王権の歴史を古く見せるため、より権威づけるために
あとから付け加えられた神話であると解釈する説が多い

神武の東征③

話は、大和平定目前となる
いよいよ初代天皇である神武天皇の誕生である

伊波礼毘古(イワレビコ)のもとい邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)がやってきた
高天原の御子が天から降りたと聞き、あとを追ってきたと語った

 

邇芸速日命は天の神の印である宝ものを伊波礼毘古に献上して

臣下になりたいと申し出た

邇芸速日命は別の降臨系譜を持つ神ということになる
実は、古事記ではこの件に関して詳しく語られていない
古事記で語られた内容は
那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の妹と結婚し、生まれた子が物部氏らの祖先になった
…というおとだけだ

日本書紀では、もう少し詳しく書かれていて
邇芸速日命は、那賀須泥毘古が祀ってきた神だとし
伊波礼毘古に逆らう那賀須泥毘古を殺害して帰順したと書かれている

なぜ古事記では詳しく書かれていないのか?
朝廷の軍事と祭祀権を司った古代の大豪族である物部氏への言及をさけるためであると考えられている

 

いよいよ大和で政権を確立した伊波礼毘古は畝傍山(ウネビヤマ)の麓に
白檮原(ハシハラ)宮を造営し
そこで即位して初代天皇である神武天皇となり、国を治めはじめた

 

この即位の日は日本書紀では「辛酉年の春正月、庚辰の朔」と書かれている
明治政府はその日を「紀元前660年2月11日」と決定した
現在、建国記念日は2月11日だが、それはこの決定がもとになっている

 

神武天皇は日向にいたころに
阿比良比売(アヒラヒメ)を娶って
多芸志美美命(タギシミミノミコト)と岐須美美命(キスミミノミコト)が生まれていたが

それとは別に、大和で政治を行うために正式な皇后を探していた

それを聞いた大久米命(オオクメノミコト)が一人の女性を推薦してきた
奈良三輪山の神大物主神(オオモノヌシノカミ)と三島湟咋(ミシマノミゾクイ)(大阪府茨木市の溝咋神社の祭神)の娘との間にできた伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)だった

大物主神出雲の大国主神の分身か同一神とされている

 

この結婚は、天孫系神と出雲系神の統合を意味する
二人は結婚し
日子八井命(ヒコヤイノミコト)、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)、神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト)の三人の子が誕生した

 

神沼河耳命は、次の綏靖天皇となる

Home > Archives > 2016-06

 

このページのTOPに戻る