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2012-07

日本の仏教の宗派について

現在、日本の仏教には様々な宗派があることは周知の事実である

 

そもそも、どの宗教においても

宗派の存在しない宗教などない

 

宗派は、それぞれが

「自分こそが真の継承者である」

と主張することから始まる

 

また、そうした純粋な信仰心ではなく

権力争いや、対立抗争から派生したものも少なくない

 

日本の仏教宗派内での分派も

そうした過程を経て

さまざまな宗派へと分かれて現在に至っている

 

 

日本に本格的な宗派ができたのは

中国仏教の学派的な宗派をそのまま用いたものは始まりとなっている

 

奈良時代に伝わった代表的な六派を「南都六宗」という

 

その六派は「三論宗」「成実宗」「法相宗」「倶舎宗」「華厳宗」「律宗」

となっている

 

次に平安時代となった日本は

二人の高僧を輩出することとなる

その二人は、同じ遣唐使の船団に乗り合わせて中国の唐へ渡り

帰国後に、それぞれに新しい宗派を開いた

その日本の宗教改革とも呼べる二人の高僧の登場は

奈良時代の学派的な仏教宗派と決別する圧倒的なパワーを持ち合わせ

新しい仏教の考えを提案した

 

その二人とは、最澄と空海である

最澄は天台宗を、空海は真言宗を開いた

 

よく比較対照に上げられる宗派であるが

この二派には決定的な違いがある

 

天台宗は、法華経を最高の教えとしながら総合仏教を目指した

 

真言宗は、天才的な空海によって

最初から完成に近い密教の実践と

圧倒的な説得力の理論を元に「真言密教」の教えに限られていた

 

その結果、天台宗からは最澄以降も

さまざまな優れた宗教家によって新しい教えが

次々と生み出されていった

 

一方、真言宗は、あまりにも完成されすぎた密教大系だったので

新たな展開を生み出す余地がなく

空海から300年も経った頃に

「覚鑁上人」という人物が浄土と真言密教を融合させた真言念仏を展開し

「中興の祖」と言われたくらいで

天台宗のように各分野で目覚しい活躍をした人物を輩出することができなかった

 

それほどに、真言宗はアレンジできないほどに

完成された宗派だったのである

死者を埋葬する意味

人類で最初に死者を埋葬したと思われるのは

ネアンデルタール人であると考えられる

 

ネアンデルタール人の埋葬が人類のお墓の原点のようである

 

人と違い、動物は埋葬儀礼という文化を持っていない

 

そして、人はこの埋葬という行為から

死後の世界と人の交換という「宗教」を生み出した

 

そして、意味や価値を共有している社会の中で

さまざまな交換が行なわれている

 

シンボルは、価値があるから交換できるのではなく

交換できる社会があるから価値が生まれるのである

 

ネアンデルタール人は、今から6万年前に存在していたと推定されている

その調査をアメリカのコロンビア大学の人類学のラルフ・S・ソレッキ教授と、その妻である考古学者のローズ夫人が10年間に渡ってネアンデルタール人について調査を行なっている

 

その調査でわかったことの中に

ネアンデルタール人が埋葬の際に死者に花を飾っていたというのである

 

今でこそ、死者に花を捧げるのは一般的なことなので

ネアンデルタール人が死者に花を飾っていたとしても

不思議に思わないかもしれないが

しかし、なぜ花を飾ろうと考えたのかを探っていくと

そこには、宗教的な交換構造を垣間見ることができる

 

先ほども書いたように

動物は、埋葬する…という習慣を持っていない

埋葬は、人だけが行う行為なのである

 

埋葬するのは、臭いからでも不衛生だとかいうネガティブな理由ではない

ネガティブな理由であれば、花などは飾ったりしないだろう

 

花を飾る行為には

死者(遺体)に価値を見出していたからだろう

 

その死者に、価値を見出す社会の交換構造がある…ということである

 

その価値とは、古い命と新しい命の交換である

新しい命は、たとえ母親のお腹を経由してきたとしても

古い命を、浄化して価値を高めることにより

あの世から送られてきたものとして考えられる

 

つまり死者を「あちら側」の世界に送り出すことにより

新しい命…つまり赤ん坊を「あちら側」から送ってもらうのである

 

人は死んでしまえば、単なる骨と蛋白と、脂肪の塊に過ぎない

 

死体は、交換されることで、それ自体価値を持つことになる

だから大事にする

そして、その価値を人々は「魂」と呼ぶようになるのである

 

あちら側の存在に死者を送ったことを伝えて

新しい命を送り返してくれることを求めて

儀礼として、埋葬を執り行なったのである

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