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2012-12

三悪道と仏教の歴史

三悪道と仏教の歴史

仏教には六道輪廻の考えがあると

以前も記したことがあるが

仏教では、現世での行い如何によっては

天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道

の、いずれかに転生すると言われている

そして、地獄、餓鬼、畜生の3つは、三悪道と呼ばれていて

皆が、避けて通りたいと考えている道である

そして、三悪道に落ちないためにも

現世での行いに気をつけて

来生を、より良い転生ができるように願うのである

しかし、その道が厳しく

欲を滅し、厳しい規律を守り修行に励まなければ

三悪道を避けることはできないと考えられていた

そして、悟りを開いた状態(=解脱)を目指すのである

その道は、煩悩を捨てる道であるため

多くのものは、その道を断念せざるを得ない場合も多く

しかし、三悪道に転生する恐怖もあり

死後の解釈を変えて

全ての死者が仏になれるようなシステムに変わっていった

現代の日本では、宗教観も

冠婚葬祭の時のみに登場するような形で

その教えを深く考えずに

儀式だけを執り行う場合も少なくない

もっと酷い場合には

婚姻する場合と、葬式をする場合に

全く違う宗教の儀式を行うことも少なくない

故に、その宗教観の中に

三悪道に転生する恐怖もなく

取りあえずは、追善供養を行うことで

現世での行いが悪くても

成仏できることになっている

しかし、その敗者復活戦のようなシステムに変わったことによって

現世で良い行いをすべきである…という観念が薄れて

多少悪いことをしても、成仏できる…と考えるのであれば

まだマシな方で

儀式のためのパフォーマンス的な捉え方では

現実主義に偏り過ぎて

目に見えることだけを信じるようになり

行い云々以前の問題となってしまう

そうならないためにも

真理を伝えるべき人間が

正しい解釈を伝えることが重要になってくる

逆修という考え方

人は、死に関して様々な考えや思いを持つ

こわい、きたない、けがれ…などのマイナス感情などを持つ人が多いのではないだろうか?

現代人は特に、霊や呪いなどの言葉を不必要に使い、嫌悪する傾向もみられる

しかし、仏教では、死とは成仏すること

すなわち、さとりを開いて仏となることを言い

輪廻転生の考えでは、次の生を受けるためのリセットであると解釈される

そのことは、逆修が広まる要因ではないかと思われる

逆修とは、生前に墓などに入り、一旦死んだことにして葬式をして

過去の因果をリセットして、残りの人生を健康で長生きすると言われている

その考えが現代でも受け継がれ

火葬場が新設された時の開場式に大勢の老人が新しい火葬竃に入れてもらう儀式が定着している

こうして、一旦死んだことにしてもらい

健康で長生きして、後生が良くなって人の世話にならずに安楽に死ねると信じられている

これを仏教で、逆修と呼ぶ

古くは、聖徳太子もこの逆修を行っていたらしきものも残されている

聖徳太子は、生前に自分の墓を築造していたらしく

その墓に一度死者に入ってもらい、本物の墓として機能させ

逆修の儀式にしたようだ

それを伺える事例として

死者をわざわざ運んで入れて、その死者が着ていた衣装も聖徳太子が一度着て、より死者に近くなるようにしたものと思われる

それほどまでに聖徳太子が逆修を行った理由は

物部守屋を誅殺した因果応報を恐れてのことではないかと思われる

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