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2015-12

大国主神の国譲り③

出雲の稲佐の浜で、大国主神の前に建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)ガ現れた。

建御雷之男神は、高天原にいる天照大御神と高御産巣日神から送りこまれた
三番目の使者である。
この建御雷之男神は、かなり強力な武神で
剣の柄を海面に刺して、刃の先に胡坐をかいて座り
大国主神に向かって言った
「地上は天照大御神と高御産巣日神の命で、高天原の御子が治めることになった。国を譲る気持ちはあるか?」と。

大国主神は、美保関の岬にいる事代主神(コトシロヌシノカミ)を呼んで意見をきいた。
事代主神は献上することを認めた。

しかし事代主神はそのあと、天の逆手を打ち
自分の船を転覆させて柴垣に変化させて
その中に隠れてしまった。

この事代主神の行動に関しては諸説あるのだが
天の逆手という方法は、呪術的な柏手のやり方で
本当は献上をしたくない事代主神が、柴垣に籠ることで
無言の抵抗をしたのではないか…という説もある。

大国主神と建御雷之男神が出雲の稲佐の浜で向き合って交渉しているところへ
大きな岩を指で弄びながら大国主神の子である建御名方神(タケミナカタノカミ)が現れた。
建御名方神は、献上に反対していた。
そこで建御名方神は、建御雷之男神よりも自分の方が強いと信じ
建御雷之男神に力比べを申し出た。

最初に建御名方神が建御雷之男神の手首をつかんだ
しかし建御雷之男神は、その腕を水に変化させて
その次に剣に変化させたので
建御名方神は恐ろしくなり手を放してしまった。

次は、建御雷之男神の攻撃の番となったが
建御名方神の手を握ったとたん簡単に握りつぶしてしまった。

負けを悟った建御名方神は逃走してしまった。

建御雷之男神は逃げた建御名方神を長野県の諏訪湖まで追い詰めて
建御名方神を殺そうとしたが
建御名方神は必死に命乞いをして
諏訪から生涯一歩も出ないことを誓って
地上の世界を献上することを約束した。

建御名方神を諏訪で祀っているのが諏訪大社である
この諏訪大社は全国で五千社の分社数を誇る神社となった。

その理由は
建御名方神は国譲りでは敗れてしまったが
平安時代には東国の武神として
鎌倉時代には北条氏が後ろ盾となり
武士の守護神として各地に勧請されることになったことによる。

大国主神の国譲り②

「大国主神が築いた地上の世界は、天照の子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が治めるべきである」
と、高天原にいた天照大御神と高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は宣言した。

大国主神は天照大御神の弟の須佐之男命の子孫であるが
本来ならば、地上は高天原の直径が支配するものであるとの考えから宣言がなされた

天照大御神と高御産巣日神は天忍穂耳命を地上に送ったが
地上は乱れていて、騒がしいと言い
天と地をつなぐ天の浮橋まで行って戻ってきてしまった
そのままでは、天忍穂耳命が地上に行き、地上の世界を治めることができない
そこで天照大御神と高御産巣日神は、天上にいる神々を集めて
地上の乱れを静めるために誰を派遣するか話し合いの場が設けられた

その結果、天上界の最高神から任命されて
その最高神の系譜である天皇が地上に君臨することになった

この場面が古事記の中でも最重要項目であり
古事記を編集するにいたった最大の目的は
この天皇が最高神から任命されて地上界を任せられているという
王権の正当性…説得力のためであると考えられているからである

地上の乱れた神々を服従させるために
天照大御神の二男で、天忍穂耳命の弟である天菩比神(アメノホヒノカミ)が派遣されることになった
しかし天菩比神は、その使命を忘れ大国主神に媚びていた

ちなみにこの天菩比神は出雲国造家の祖先とされている
出雲国造家は代々出雲大社の宮司となり、それは現在も続いているという
現在の宮司は千家尊祐氏で84代目となっている

天菩比神に続いて派遣されたのが天若日子(アメノワカヒコ)である。
この天若日子は野心家で、地上支配のために大国主神の娘を娶った

高天原は天若日子の様子を探るために
雉の鳴女(ナキメ)を地上に派遣した
しかし天若日子は弓矢で鳴女を射殺してしまった

その矢は鳴女を貫き
高天原まで届いた
それを拾った高御産巣日神は
地上に投げ返す
「もし、天若日子に邪心が無いならば当たるはずがない」と

しかしその矢は天若日子に当たってしまい
天若日子は天罰が下り絶命してしまうことになり
天若日子の野望も消えてしまったのだ

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