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2016-03

神武天皇へつなげて

全国には、大小8万を超える神社がある

その神社には、大きく4つの区分けが存在している

その区分けを「社号」という

 

社号は、神社名に付いているので
それで確認することができる

社号には「神宮」「宮」「大社」「社」がある

 

例えば、明治神宮や、出雲大社

などの「神宮」や「大社」の部分である

 

鳥居や拝殿、本殿にあげられた額からも、それを知ることができる

以下が、それぞれの社号の意味である

 

「神宮」は、天皇や皇室の先祖神を祭神とする、規模の大きい神社である

代表的な神社は「熱田神宮」「石上神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」「鵜戸神宮」「平安神宮」などがある

 

「宮」は、皇室にまつわる人物や、人間神などを祭神にする神社である

代表的な神社は「香椎宮」「聖母宮」「北野天満宮」「日光東照宮」などがある

 

「大社」は、出雲大社のみの社号だったが、明治以降、規模や格の高い神社に使われるようになった

代表的な神社は「出雲大社」「諏訪大社」「春日大社」「多賀大社」「熊野本宮大社」などがある

 

「社」は、大きな神社から祭神を勧請している小規模の神社である

代表的な神社は「祇園社」「稲荷社」「天神社」「八幡社」などがある

 

ちなみに天皇という言葉は

初代からあったわけではないようだ

 

初代の神武天皇は

当時の呼び名は「彦火火出見大王」(ひこほほでみだいおう)

であった

 

天皇号ができるのは

天武天皇(第40代)のころとされている

 

奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から

「天皇」という文字が書かれた天武時代の木簡が発掘されたので

それが裏付けとなっている

 

次の代の持統天皇のときに発布された

飛鳥浄御原令で、天皇号が正式に法令化された

 

だから、それ以前の天皇の呼び名は

後になって付けた死後の名前である

天孫降臨②

邇邇芸命(ニニギノミコト)は、笠沙の岬(現在の鹿児島県薩摩半島の野間岬)で 見目麗しい木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)を見初めた
結婚したい邇邇芸命は、許しをもらうために

木花之佐久夜毘売の親である大山津見神(オオヤマツミノカミ)のところに使者を派遣した しかし、大山津見神は献上品を添えて、一緒に姉である石長比売(イワナガヒメ)も差し出してきた

しかし、石長比売は恐ろしい容姿だったため 邇邇芸命は姉だけを親のもとに返した

 

親である大山津見神曰く

「姉妹を差し出したのにはわけがある。石長比売との子の命は岩のように永遠になり、木花之佐久夜毘売との子は咲き誇る木の花のように栄える。しかし、妹の方だけを選んだので生まれてくる子たちの寿命は限りあるものになってしまった」

 

これは、天皇が人間と同じ寿命である…ということに対し 整合性をはかるためのストーリーであると考えられている

 

邇邇芸命と一夜を共にした木花之佐久夜毘売は懐妊し出産の時を迎えた

しかし、邇邇芸命は木花之佐久夜毘売を疑った 生まれてきた子は地上の神の子ではないか…?と 木花之佐久夜毘売は、「高天原の御子であるから、必ず無事に生まれるはずだ」と 産屋に入り、自ら火を放った

燃え盛る炎の中で木花之佐久夜毘売は3人の子を生んだ

 

その3人の子は

火照命(ホテリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)

といい

炎の中での出産にも関わらず、3人とも無傷で 木花之佐久夜毘売は天の血をひく子であることを証明した この3人は天照大御神の曾孫にあたり

火須勢理命は初代天皇の神武天皇の祖父となる

 

木花之佐久夜毘売は古事記では、神阿多都比売(カムアタツヒメ)という別名で語られることがある

この名称から九州の阿多地方の氏族の女神であると考えられている

 

そして後世になって

木花之佐久夜毘売は富士山の神として祀られ 石長比売も石の神として神奈川県の大山お祭神となり 人々から信仰を集めている

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