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2011-12

中国での仏教の受容~儒教、道教と仏教の違い~

弘法大師・空海は25歳の時「聾瞽指帰」を執筆している

これは空海自身の自伝的な内容も多く含まれているが

儒教・道教・仏教の三つの教えの特徴を説いた思想書である

 

その書の最後に空海は次のような意味の言葉を残している

「儒教も、老荘も現世のことばかりに特化して説かれていて、来世の果報を願ってはいない」と

 

儒教・道教と仏教の違いは様々あるが

大きな違いといえば、仏教は来世があると想定されていることだろう

 

その違いによって大きな影響を受けた中国の例がある

参考は、元大阪大学名誉教授の森三樹三郎氏の「中国思想史」による

 

六朝人は、仏教思想のうち、どのような部分に惹かれたのであろうか

(六朝時代は220~589年の約370年間である)

六朝人の知識人達は、儒教を離れての老荘思想を学ぶようになる

この老荘思想と仏教の哲学は、根本的に共通項が多く見られた

仏教の思想が「空」であるのに対して

老荘の思想が「無」であるということを考えてもわかるだろう

 

むろん両者は完全に同じものとは言えないが

少なくとも「有」を否定から出発する思想…という点では同じだろう

六朝人は、なじみの深い老荘を通じて、仏教を理解しようとしたのは

ごく自然の成り行きであろう

このことから、六朝初期の仏教の教えは、老荘的な色合いの強いものになっていた

この老荘よりの仏教のことを「格義仏教」と呼んでいる

 

しかし、仏教に対する哲学的理解は

専門家である僧侶や、これに近い水準に達した知識人に限られていて

全体からすると、ごく少数のものであった

一般の知識人や民衆などは、この思想とは全く違った角度から仏教に触れていったのである

 

それこそが、仏教の「輪廻の説」である

輪廻説は、ご存知の方も多いように「生まれ変わり」のことである

人生はこの現世の一世だけではなく

生前の過去に無限の前世が存在し

死後の未来にも無限の来世が続くと考える説である

 

そしてこの「前世」「現世」「来世」の三世は

互いに無関係ではなく、前世の行為の善悪は現世の禍福をもたらし

現世の行為の善悪は、来世の禍福を招く…というものである

この三世を跨いで、因果応報の理が働くので

中国人は輪廻説のことを「三世」の説、または「賛成報応」の説と呼んでいた

 

従来の中国では、現世だけしか考えていなかったので

この仏教の輪廻説が世に広まった時は、大きな衝撃を受けたと伝えられている

そのことは『後漢紀』にも記されているので引用する

 

仏教の説くところによれば、人間は死んでも、その霊魂は滅びず、ふたたび新しい肉体に結びつく。その人間の生時に行った善悪は、死後の世に必ず報応を受ける。したがって仏教の尊ぶところは、善をおこない、道を修め、これによって霊魂を錬ってやめず、最後には無為の境地に入り、仏となることである。この様な仏教の生死報応の説い接した王公大臣は、みな恐怖の念をおぼえ、自失しないものはなかった。

あら年とあら御霊

喪の穢れを忌み嫌う…という感覚は

現代社会において、どのくらい残っているだろうか?

 

近しい人の死に対して

現代は、1年は喪に服すと言われているが

昔に比べれば、その行動の制限は軽くなってきているように思われる

 

現代は、日常生活が経済活動を基盤としているためか

喪に服す行動の制約が、大きな弊害となることは否めない

そんな現代の都合上、「喪の穢れ」…などと悠長なことを言っていると

生活がままならなくなるからだろう

 

そして、たとえ行動が制限されなくとも

死者を悼む気持ちに変化はない…と言い切ることが難しいのも現実である

 

簡素化された死者に対する儀式―

当然、先祖に対し思いをはせる時間も少なくなり

瞬く間に、日常と変わらぬ生活を送っている

その結果、家から死者が出ること事態が

昔に比べて、大事になっていないのだ

 

行動があるから思いがあるのか?

思いがあるから行動になるのか?

 

どちらにしても、現代の行事様式では

先祖に対する「思い」が軽くなっていること間違いないだろう

 

時代や、地域によっても大きく違ってくるが

死者に触れたものは「穢れ」と扱われ、生活上で大きな不便を強いられる

 

極端な場合には、隔離されたり

死者に触れたものが、別の者と接触した場合にも

二次感染的な扱いをされて

「穢れ」は、一種に伝染病のような扱いもされていた

公式行事(朝廷の儀式)に携わるものは

身内に死者が出た場合には

職務に関わることも許されず

一定の期間が過ぎるまで、謹慎状態となった

 

当然、めでたい席、晴れの行事に関わることは許されず

正月も、通常のように迎えることができない

喪に服しているものは、人様のしめ縄をくぐることは禁止され

そのかわりと言ってはなんだが

正月を迎える前に、お見舞いという形で訪問を受ける

「あら年(死者を出した年)の見舞い」である

 

見舞いの言葉は

「本年は存じも寄りませぬあら年でお淋しゅうございます」

「ことしは誠にお淋しいお年取りでござんす」

などと言われていた

 

めでたい年始のあいさつができないことに対する嘆きでもあるのだが

そちらは死者だ出たので、めでたい行事ができないが

私達は、淋しさに付き合いもせず

お祝いをしてしまうけど、悪く思わないでくださいね…

というニュアンスも含まれていたという

 

近年は「あら年」という言葉も使われなくなってきていて

死者を出した家…という疎外感も感じることがなくなった

 

生活が便利になればなるほど

死者に対する行いは、簡素化されていくようにも思われる

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