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2014-02

日本の心と美学

 

人が死を迎えるにあたって

日本人の宗教や、歴史や文化は切っても切り離せないものになっている

 

日常生活の中で、宗教観などを意識することはなくても

長い歴史の中で、変化は多々あれど

司祭の習慣は、人生の節目で誰もが関わることになってくる

 

現代は、比較的その習慣も、あくまでも習慣として行うことが多く

その思想や歴史に触れる機会も少なくなってきているように感じる

 

しかし、この習慣が現代のような形になったのにも理由があり

なにかしらの役割を持っていることは否定できない

それは、思想を深く考える機会が少なくなったとしても…だ

 

この思想などには、深い意味があり

それは、人が幸せに暮らすヒントだったり

人が生きていく上での、本来の意味を見いだすことにも役立っている

 

先人の深い知恵と教えがあり

それが、ブラッシュアップされて、現代へ、次世代へと脈々と受け継がれていくことへの責務が私達に問われている

 

今、少しずつ日本古来の考えや風習が見直されてきている

 

日本の心は、実はストレス社会で生きる私達への

解決のメッセージも含まれているようにも思う

 

武士道が脚光を浴びたり

日本文化が見直されたり…

その全ての過程が、私達の生きる意味への回答にもなっている

 

その中でも、死生観…というもの、特に「死」に関しては

人々が長年に渡り、何かしらの解決を求める事柄ではないだろうか

 

「死」に関する精神的な学問や教えは

誰もが向かえる局面への、恐怖や疑問の解決の糸口になってくる

 

私達の先祖である人々が、どのような過程で

それらを解決してきたのかを紐解く作業は

安心と安らぎをもたらすことも多い

 

そして、他国と比較しても

その思想や美学は

非常に効率的であり、無駄がなく、スマートで、つまるところ真理である

 

この殺伐とした現代社会において

日本の美学や心を見直すことは

大きな収穫があることは、間違いないように感じるのである

仏教での三道悪

 

 

仏教には六道輪廻の考えがあると

以前も記したことがあるが

 

仏教では、現世での行い如何によっては

天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道

の、いずれかに転生すると言われている

 

そして、地獄、餓鬼、畜生の3つは、三悪道と呼ばれていて

皆が、避けて通りたいと考えている道である

 

そして、三悪道に落ちないためにも

現世での行いに気をつけて

来生を、より良い転生ができるように願うのである

 

しかし、その道が厳しく

欲を滅し、厳しい規律を守り修行に励まなければ

三悪道を避けることはできないと考えられていた

 

そして、悟りを開いた状態(=解脱)を目指すのである

 

その道は、煩悩を捨てる道であるため

多くのものは、その道を断念せざるを得ない場合も多く

しかし、三悪道に転生する恐怖もあり

死後の解釈を変えて

全ての死者が仏になれるようなシステムに変わっていった

 

現代の日本では、宗教観も

冠婚葬祭の時のみに登場するような形で

その教えを深く考えずに

儀式だけを執り行う場合も少なくない

 

もっと酷い場合には

婚姻する場合と、葬式をする場合に

全く違う宗教の儀式を行うことも少なくない

 

故に、その宗教観の中に

三悪道に転生する恐怖もなく

取りあえずは、追善供養を行うことで

現世での行いが悪くても

成仏できることになっている

 

しかし、その敗者復活戦のようなシステムに変わったことによって

現世で良い行いをすべきである…という観念が薄れて

多少悪いことをしても、成仏できる…と考えるのであれば

まだマシな方で

儀式のためのパフォーマンス的な捉え方では

現実主義に偏り過ぎて

目に見えることだけを信じるようになり

行い云々以前の問題となってしまう

 

そうならないためにも

真理を伝えるべき人間が

正しい解釈を伝えることが重要になってくる

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