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2012-04

涅槃の意味

涅槃の意味は?と問われたら

「死後のこと」と答える人が多いかもしれない

 

仏教以前の古代インド宗教では

涅槃のことを「死後」としているので

間違いではない

 

しかし、仏教の涅槃の本来の意味は

「完全な悟りの状態」である

 

涅槃を悟りと解釈をすると

同類後が数多く存在することが確認できる

その一部を抜粋してみよう

「解脱(げだつ)」「菩提(ぼだい)」「無為(むい)」「寂静(じゃくじょう)」「覚(かく)」「成道(じょうどう)」「無上正等覚(むじょうしょうとうがく)」

などである

その他に「成仏」「往生」などを加えることもできるだろう

 

これらは全て

「煩悩から完全に解放された真のやすらぎの境地」

「正しい智慧であらゆるものを見ることに目覚めた状態」

「完全なやすらぎ」

「ブッダとなる道を完成したこと」

などを意味する

 

そして涅槃には

「有余涅槃」と「無余涅槃」の二種類が存在する

 

日本では、涅槃を死後のこと…と解釈する人が多いのだが

この場合の意味を「悟り」と解釈すれば

生きているうちに涅槃を得る場合がある

 

しかし、肉体が存在している限り

完全なる煩悩の解放は難しく

悟りを開いたが肉体がある故に煩悩が残っている状態を「有余涅槃」と呼ぶ

 

これに対して肉体に煩悩が全く残っていない状態を「無余涅槃」と呼んでいる

 

肉体を所有していながらの、完全なる煩悩からの解放は不可能に近いと考え

「肉体からの解放=死」を持って無余涅槃を得られると解釈されているのである

 

このように「死後の涅槃」を「完全な悟りの完成」と解釈される場合が多いことから

「死後=涅槃」と解釈しているのかもしれない

 

日本に仏教が広まった当時の庶民は

そんな厳密な意味もインドの事情もわからないまま

「無余涅槃」が仏教の権威ある教えであると信じられて

「死ぬこと」がすなわち「涅槃」であるとストレートに解釈されてしまったようである

 

ここから日本人は、「涅槃に入ったものは仏である」

と、解釈し「死んだら仏様になる」との理論に飛躍していくことになる

 

本来、仏教においては

修行をし、悟りを開いた者が仏となるのだが

日本では、生前の行いの如何に関わらず

「死んだら仏様」…もしくは遺体そのものを「仏様」と呼んでいるのである

六道〜それぞれの道〜

何度か、書いている六道輪廻だが

実際に六道とは何か

何故に、その道へと転生するのか…について説明したい

六道とは、「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」

のことを指す

現世での行いによって

このいずれかに転生するといわれている

では、どのような行いで、どの道に転生をするのだろうか?

「天道」は、現世において、煩悩を捨てようと努力し、魂を磨き、智慧を持ち、真理の道を探求しようと努力し続けることができたものが行ける世界。寿命は、人間と比べ物にならないほど長く、喜びが多く、苦しみの少ない世界である。

「人間道」は、今私たちが生きている世界。苦しみもあるが、喜びも共存していて、真理の道へ進むためのチャンスも多い世界。人間愛に溢れた人が転生する世界である。

「修羅道」は、功徳も積んだが、不徳も多く積んだものが行く世界。阿修羅が住む世界である。その行いにより、さまざまな阿修羅へと転生する。人間と変わらないようにも見えるが、食の最後が泥になるなど、人間界に至らない面が多い。

「畜生道」は、動物に世界である。欲望にまみえ、本能のままに生きていると転生する世界。煩悩を断つ努力をせず、本能の赴くままに生きる結果、畜生に転生する。畜生には智慧がないゆえ、真理の道を目指すことが、かなり難しいため。上位の道に転生することが難しくなる。

「餓鬼道」は、飢えの世界である。異常なまでに食べ物に執着し、その欲するままに食べ続けると餓鬼道に転生する。この世界は、気の遠くなるほどの寿命があり、その長い間、飢えと乾きに耐え続けなければならない。

「地獄道」は、私利私欲のために、自分勝手に他の生き物を傷つけた罪人が罪を償うために転生する世界。苦しみしか存在しない世界。

そして、下の三つ「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」を合わせて三悪趣と呼ぶ。

この三悪趣に落ちると

上位の道に転生することが難しい故

早めに真理の道をみつけて、上位に転生できるよう修行することを仏教では勧めているのである。

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