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2013-11

仏教のいう幸せとは何か?

世界には、様々な宗教がある

キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教

道教、儒教、密教に、少し角度を変えて神道など…

 

大昔、大陸が陸続きになっていない場所でも

同じ思想を持っていたことが理解できる文献などが存在する

宗教の根源は、同じとこだと思われる

 

現代は、添加物や電磁波などによって

人の霊的感覚は低下しているが

昔の人は、この霊的感覚を当たり前に持っていたようだ

 

その感覚から得られたものを思想として

次世代に伝えていったものが宗教だ

 

時代を経て、解釈が変わり

今の宗教と原始的なものは、だいぶ変わってきたが

 

その中でも、かなり真理に近いと思われる原始仏教や密教などから

この「幸せ」について考察してみる

(現代の仏教と、原始仏教はだいぶ違うのでご注意を。原始仏教はヨガの教えに近い)

 

仏教の教えでいう幸せは

解脱である

 

魂は輪廻転生を繰り返す…というのが仏教の教えである

功徳の量、不徳の量により転生先が決まり

 

その転生先は、6つに分かれている

「天道」「阿修羅道」「人間道」「餓鬼道」「鬼畜道」「地獄道」

である

これを六道輪廻と呼ぶ

 

不徳が多ければ地獄へ

功徳が多ければ天界へ向かう

 

だから、仏門に入った修行僧は

功徳を貯め、その功徳を極力消耗しないように質素な生活に励む

 

その輪廻転生から脱却し

生まれ変わることのない魂へと向かうことが

仏教のいう幸せである

 

この輪廻転生から脱却した魂は

肉体を持たず、永遠に幸福感を得られることになるという

 

そして、次の生まれ変わりにおいて

人間以上に生まれ変われる人間の確立は100万分の1しかいないと言われている

 

それほどに、人間とは不徳を重ねている生き物なのだ

 

曖昧な神道の概念

神道という言葉は、よく聞く言葉である

この神道という言葉は、日本の伝統的な民族宗教を呼ぶ言葉のひとつとして定着している

 

しかし、その言葉の概念はかなり曖昧である

 

人によってもその解釈の仕方は様々で

 

・古代日本の神々に対する信仰と捉える人

・明治維新に始まった国家神道のことだと思っている人

・漠然と神社の主だと考えている人

 

など、その解釈には全国民共通になるような概念は線引きできていない

 

そこで、これまでは神道を

「仏教」「道教」「儒教」「キリスト教」などのように

ひとつの宗教として位置づけようとする傾向があった

 

しかし、日本の宗教の現状は

様々な宗教が長い歴史の中で複雑に入り混じり、どの宗教も単独で説明することは、困難になってきている

 

神道は、その中でも仏教と入り交じる傾向が強く

神仏習合という現象を生み出している

 

神と仏と菩薩が一緒に崇められ

何かお願い事をする時に

「神様、仏様、私の願いを叶えてください」

と、いっぺんにお願いする不可思議な現象もみられる

 

それ以外にも、日本では

複数の宗教に携わる現象が見られ

 

このように、複数の信仰を日常生活に融合させていることを

シンクレティズムと呼んでいる

 

神道の根本を語る前に

この日本宗教の歴史を理解し、シンクレティズムをふまえた神道の研究が必要になってくる

 

ばくぜんと、宗教は思想であり

神道は、精神伝統と解釈するのがニュアンスが伝わるだろうか?

 

もっと違う言葉で表現すると

「仏教は教え」「神道は感覚」である…と理解するとわかりやすいかもしれない

 

日本人は、昔から神の存在を空気で感じてきた

外国人が、観光で日本に訪れた時に

神社を訪れた際「空気が澄み渡った、神々しい感覚を得られる」と語る人も多い

表現方法は多岐に渡れど、その共有する空気感は同じなのかもしれない

 

この普遍的の感じることができるのが

古代日本人が、肌で感じ捉えてきた「神道の感覚」ではないだろうか?

 

 

神道は書物の中にあらず

神道は儀式や戒律の中にあらず

日本国民の心の裡に息づく

日本人が身体的に感得してきた、その感覚である

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