Home > Archives > 2010-09

2010-09

行方不明者の墓~一家族の決断~【1】

私の弟は
行方不明者である

知的障害者だった弟は
中学の途中から、親元を離れ全寮制の施設に入所した
言葉を発する人もいたが、弟は擬音を発するのみ
こちらの言うことは理解できるが
自分の意思は伝えられない

弟が中学を卒業して間もないころ
北海道は新緑の季節
施設では、敷地内の畑で春の作業を行っていた。

そこで突如、弟は失踪した-

人口、2000人強の小さな町で
一人の少年が失踪
しかも、本人は話すことができない知的障害者である

車で2時間ほどの親元に電話で連絡が入ったのは、失踪から約3時間経過した
午後6時ころ
最初はすぐに見つかるだろうという施設職員の願いもむなしく、親に連絡する決断をしたのだろう
「どうして、もっと早く連絡をくれなかったのですか!?」
と親は怒っていたが
このような子供達の入所施設である
短時間の失踪騒ぎは1度や2度ではない
しかし、3時間経過して
事は、普段の迷子騒ぎではない様相をかもし出していた
5月といえども北海道の春の夜は冷え込む
軽装のまま、山に入れば、死を意味することは、みんなわかっていた
すぐに警察に捜索願いが提出され
捜索隊が、山に入っていく

両親は、施設のある町に入り
高校2年生の私と、小学生の妹は家で留守を守ることになった。

私は、小さいころから年子の弟と一緒にいた
知的障害の疑いがでてきたのは3歳も過ぎたころ
男の子は言葉が遅いというけれど
あまりにも遅すぎることを心配した母が
児童相談所の門をくぐった

いたずらばかりする弟
普通ではない弟

私は、「普通の弟が欲しかった!」「こんな弟いなくなればいい!!」と思ったりしたこともあった

弟が、失踪した日の夜
自分が思った言葉を感じ、弟はいなくなってしまったのではないか?
と、恐怖に押しつぶされそうになりながら
眠れない夜を過ごした

平成元年5月18日の夜

祖母の葬儀

私事なのだが

先日、祖母が他界した。

 

真面目に生きてきたとは言いがたい人生を送った祖母であったようだ

貯蓄も資産もない祖母であったが

その子ども達によって、立派に葬儀が執り行われ

先日、納骨の運びとなった

 

一見、ごく普通の葬儀風景

子、孫、曾孫が祖母の最期を見送り

我が身が、ここに存在するのは

この故人の存在なくしてありえない事実

日常では、あまり意識することのない

血の繋がり…

そんなことに想いをはせ

自分の中に存在する、この祖母の無形の家督を強く意識し

残された者たちは

先祖から受け継がれた

有形、無形の家督を

どのように次世代に繋ぐのかを思い描くのだ

 

葬儀は、故人の人生の総決算であり

見送る者は、自分の存在を認識する機会ともなる

 

――――――――――――――――――――――

 

最近、こんな見出しをよく見かける

「各地で相次ぐ、生存不明の100歳以上の高齢者」-

 

戸籍の整備がまだ完全ではない時代だったという事情ももちろんあるのだろうが

自宅から死後数年経過した遺体が発見されたり

その子供が、親の遺体を隠し

そこで生活する事例も出てきた

 

死亡届を出さず

親の年金を受け取り続け生活をしている例もある

 

さまざまな原因の追究をマスコミが行い

行政の管理の甘さが指摘されたりしている

 

この問題を、ただ単に

「行政の怠慢」「身内による年金の不正受給」

ということで片付けてもいいものか?と疑念が沸き起こる

 

世間が、社会が、身内が…

人の死に対しての向き合い方を常日頃から意識していない結果のような気もしてくる

 

先祖の存在をないがしろにすることは

自分の存在をも、ないがしろにしているのではないだろうか?

 

まだ解決の道を見出していないこの問題は

いつかは、必ず、見送り、見送られる立場になることの意味

先祖の意味、そして自分の存在の意味を根本から考え直す機会にきていることを

証明している事件のようにも思われた

Home > Archives > 2010-09

 

このページのTOPに戻る