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2013-05

家族の形に対応し続けるお墓

何度もこの場で、以前の日本のお墓のありについては語ってきたが

昔のお墓は、先祖代々受け継がれていくものであった

 

昔のように、その土地を離れることなく

産まれてから、死ぬまでを過ごす場合は

そのお墓の形態でも不便はないのだが

現代のように、ライフスタイルが変化することで

転勤や引っ越しが頻繁にあり

家族、親族が同じ部落で生活することは少なく

全国に家族が散らばる例も少なくない

 

そんなライフスタイルの変化の上において

お墓を同じ土地で代々守っていくことは

物理的に不可能になってきた

 

そのような変化から

人々は、お墓が先祖代々眠る場所から

故人よりも、残された家族の想いがお墓に反映されるようになってくる

 

それは、墓石に彫刻する文字を見ても理解することができる

 

「◯◯家の墓」「先祖代々の墓」と彫刻する代わりに

「やすらぎ」「静」「愛」「夢」「慈」などを彫刻する人も多くなってきた

 

これは、血縁の縦系列の関係から

生前の人間関係を表す、横のつながりへと変化していっているからだろう

 

そのライフスタイルの変化は

家族の形態を変え、お墓の形態を変えていった

 

親族一同が同じ地域に住むことが少なく

各地おのおの好きな場所へと移住し

終の住処は、故郷と全く違う場所になることも少なくない

 

その家族の形の変化は、1955年前後から顕著に表れてくることになる

少子高齢化が進み、核家族化、単身者の増加もこの時期である

 

産業構造の変化は、就業構造の変化と都市化を引き起こし

その結果、当然のように家族の形態が変化してくる

 

この変化は、形だけではなく

家族関係や、家族に対する意識の変化ももたらすこととなる

 

これまでの家族の形は崩れ始め

お墓は個人化する家族に対する需要に対応せざるを得ない状況を迎えることとなる

 

そして、それは無縁化の促進も同時に引き起こしていくことになるのである

 

人はいずれ死を迎えるので

お墓は必要なのだが

それを継承する人がいないので

個人墓の普及や、無縁墓の増大に繋がっていったのである

 

継承システムの見直しは

同時にお墓そのものの意味も変化させていくことになるのである

お墓の多様化

前回、人々のライフスタイルの変化が公園墓所に移行していく話を書いたが

それに伴い、お墓自体も多種多様に変化し

個々の事情に合わせて、様々なお墓が登場することになる

 

関東大震災や、戦後の復興により

全ての生活の場がリセットされた関東圏は

その復興に伴う土地区画整理事業によって、墓地が生活圏から離れて遠隔地へ移転されることに拍車がかかる

 

そして、1970年代の高度経済成長期に登場した民間の大規模霊園は

人々の生活の場から墓地がますます離れていくことになり

墓地の地縁からの離脱が進むことになる

 

これは、日本の経済成長とともに劇的に変化し

民間の大規模霊園の出現は

日本の国民総生産が世界のトップクラスに入ろうとしていた時期だった

 

経済の活性化とともに市場原理による墓地の供給が始まった

 

公営墓地が主に市町村の住民を対象にしているのに対して

民間の大規模霊園は、墓地の供給と選択を多様化させることになる

 

それと同時に、今まで先祖代々のお墓であったものが

ライフスタイルの変化や心情の問題など

様々な事情を抱えることで多様化し

夫婦墓や個人墓が登場してくるのである

 

墓地の立地も見直され寺院境内地に納骨堂を建てるケースも多くみられ

ビル型の墓地や貸ビルの屋上に建設される場合もある

 

お墓の縁者も従来の家系や地縁単位を超えた形式や

煩わしさの少ない夫婦墓や個人墓も登場することとなる

 

少子化の影響で継承者が両家のお墓を管理するために

利便性を考えて、墓所内に二つのお墓を置いたり

一枚の石碑に二つの家の姓を彫刻し合同のお墓にしたものも見られる

 

高齢化が進むと、お墓に入る順番も変わることも多くみられ

さまざまな不安から夫婦墓や個人墓のようなものに関心が集まったと考えられる

 

このような事情から、現代のお墓の形式が確立していったのである

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