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2012-08
お盆
今回は、お盆ということもあり
私の個人的な話で…
私は毎年、お盆になると
大きな霊園にて、お仕事をさせていただいている
このようなコラムを書く機会をいただいていることもあり
様々なことに思いをはせながら
お墓参りに来る人々を見ている
お墓参り…供養をする目的は
このコラムでも何度も書いているが
その目的を深く理解しなくても
家族で集い、世代が揃い、一緒に手を合わせることは
大変大きな意味があると思われる
お墓参りをすることは
自分ひとりで生きてはいないことを
意識上においても、潜在意識の中でも自覚することであり
先祖に感謝をし、子孫に残せるものを考える機会となる
宗教を超え、宗派を超え
自分の生きる過程が、人の支えの上に成り立っていることを思えば
日常生活の中における自分の立ち位置が自然と見えてきて
大袈裟かもしれないが自分の生きる道しるべも見えてくるような気がする
ある人が言った
「うちの息子は、自分勝手で、自分ひとりで生きていけるようなことを言い、周囲に対して感謝の気持ちがないように感じる。どしたらいいだろうか…」
と
若い頃には、よくある感情ではあるが
年を重ねるごとに、周囲に対する感謝が芽生えてくるものであるが
一概に皆が、そのような感情を持つとは限らない
かといって、「感謝をするように」と命令して
その感情が得られるものでもない
逆に押し付ければ、押し付けるほど、反発するのが常である
感謝をするには、先に感謝をされる環境に立つのが早い
と、何かに書いてあった
感謝を知らない人間は、感謝をされる喜びをしらない場合が多い
感謝を重ね、感動を重ね、愛する人々と感情を共有する思いを知る
その素晴しさを後世に伝え
今いる自分と、環境に感謝する機会が年に何度か存在し
先祖に感謝する…
家族が、この世に存在していてもいなくても
自分の存在が真実であることを伝えてくれるのは
結局、先祖の存在なのだと
お盆に思う機会がある人は幸せな人である
鎌倉新仏教
最澄や空海の登場によって
日本に新しい仏教の捉え方が浸透した奈良時代
鎌倉時代に入り
日本は、現代仏教の基礎となるべく
「鎌倉新仏教」という新しい仏教運動が起こった
それは、武家政権の誕生前後から、天台宗の内部でにわかに起こり始める
その鎌倉新仏教の代表的な7人の祖師は以下の通り
・ 良人上人=融通念仏宗(1072年~1132年)
・ 法然上人=浄土宗(1133年~1212年)
・ 栄西禅師=臨済宗(1141年~1215年)
・ 親鸞上人=浄土真宗(1173年から1262年)
・ 道元禅師=曹洞宗(1200年~1253年)
・ 日蓮上人=日蓮宗(1222年~1282年)
・ 一遍上人=時宗(1239年~1289年)
この時代は、このように短い期間に
多くの代表的な宗派が立ち上がる
これらの祖師たちに共通する
立宗の動機は
天台宗の総合仏教から
一つだけの仏教を選び出した…ということである
自分達のみならず、多くの人々が救われるように
やさしく実践できる方法として
それを、お釈迦様の真髄の教えとして
その選んだものに専念したことが大きな特徴だろう
そして、これらの祖師たちや上層部の人間は
当時の皇族や貴族出身者がほとんどであった
そのころ比叡山は、派閥争い、座主をめぐる争いが起こり
開祖である最澄の教えを忘れたような有様を見て
比叡山仏教に見切りをつけて山を下りた…という共通点もある
比叡山を下りた祖師たちは
それぞれに解釈した仏教の教えを広め
目覚しい宗教活動を展開していくことになる
そして、これらの宗派は
現代に日本でも、脈々と受け継がれていくこととなる
江戸時代に、黄檗宗が登場する以外は
特筆するような動きは見あたらない
幕末から明治時代に「新宗教」としていくつかの宗派が出てくるまでは
大きな動きはなかったのである
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