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2017-02

応神天皇と3人の子③

古事記の中巻の最後には
天之日矛(アメノヒホコ)の来朝が書かれている

天之日矛が神功皇后の母方の祖先ということになっているので
ここに組み込まれているのではないかと思われる

日本書紀では神功皇后との関係は語られておらず
天之日矛の子孫である田道間守(タジマモリ)が常世国に橘の実を取りに行く話と関連づけて
垂仁天皇記に天之日矛の来訪が記されている

天之日矛の話に戻ると
昔、新羅のある沼のほとりで貧し身分の女が昼寝をしていた
そこに太陽が輝いて虹となり
眠っている女の陰部をめがけて貫いた
女は妊娠して赤い玉を生んだ

あるひとりの男性がその赤い玉を譲り受けた
そのあと、その玉は新羅の王子である天之日矛の手に渡った

その玉から流麗な美女が生まれた
天之日矛は、その阿加流比売(アカルヒメ)と結婚した

天之日矛と阿加流比売の結婚はすぐに破綻をむかえた
阿加流比売はおいしい料理を作り天之日矛に尽くしたが
天之日矛は口うるさく難癖をつけるため
阿加流比売は腹を立てて家を出て、日本に渡ってしまった
阿加流比売は小舟でやってきて難波にたどり着いた

妻を探して天之日矛も海を渡って日本にやってきた
だが海峡の神が邪魔をして難波にたどり着くことができない
日本海をたどって但馬までやってきたが
結局ここで阿加流比売を探すことを諦めて
但馬の俣尾の娘である前津見(マエツミ)と結ばれた

そして二人に子供が生まれて
天之日矛から数えて4代目が多遅麻毛理(タジマモリ)で
その弟である多遅摩比多訶(タジメヒタカ)の娘が神功皇后の生母である葛城の高額比売命(タカヌカヒメノミコト)である
つまり神功皇后は天之日矛の6代目の子孫にあたるということだ

ちなみに日本書記ではこの説はとっていない

天之日矛は新羅から、珠や鏡など8種の神宝を携えてきた
その神宝を神として祀っているのが伊豆志神社(兵庫県豊岡市の出石神社)だと古事記では語られている

古事記の中巻は神武天皇から応神天皇まで
次の仁徳天皇から最後の下巻となる

応神天皇と3人の子②

応神天皇が命を落とすと
大山守命が野心をあらわにし、皇位を狙って動き始めた

大山守命は宇遅能和紀郎子を抹殺しようと武器を集めた
大山守命の動きを察した大雀命は宇遅能和紀郎子に、そのことを知らせた

宇遅能和紀郎子は現在の京都府の宇治で大山守命の攻撃に備えた

兵を宇治川のほとりに潜ませて
山の上に立派な陣屋を構えた

その陣屋に自分の身代わりを置き
宇遅能和紀郎子がそこにいるかのようにふるまわせた
宇遅能和紀郎子は船頭の姿となって
宇治川の渡しで大山守命が来るのを待っていた

宇遅能和紀郎子が宇治を戦いの場に選んだのには
理由があった

宇治は宇遅能和紀郎子の母の出身氏族で
当時の大豪族だった和邇氏の拠点のひとつだったのだ
宇遅能和紀郎子が皇位継承者となったのも
和邇氏の権勢が大きな影響を及ぼしていたようだ

宇治川に大山守命が攻めてきた
大山守命は偽装された陣屋を見上げて
船頭に変装した宇遅能和紀郎子に
「あそこにいる大猪を討ち取ってやる」と
自信満々に語った

船が宇治川の中ほどまで来たとき
宇遅能和紀郎子は船を傾けて大山守命を川に落とした
大山守命は川岸まで泳ごうとしたが
川のほとりに潜んでいた兵士たちが弓を構えているので
上がることができない
大山守命は、そのまま流されていき水死した

大山守命を倒した宇遅能和紀郎子だったが
皇位に就くことを拒んだ
異母兄弟の大雀命が皇位に就くべきだと主張した

一方、大雀命の方も
今は亡き父の応神天皇が決めたことだからと受け入れなかった

天皇に魚介類を献上する役目の海人が
宇遅能和紀郎子に鮮魚を届けるが、自分は天皇ではないと言って受け取らない
それではと大雀命に届けるが、こちらも受け取ってはもらえない
それを繰り返しているうちに魚は腐ってしまった

皇位を譲り合う二人であったが
宇遅能和紀郎子が亡くなったので
結局、大雀命が天皇の座に就くこととなった

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