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2016-08

沙本毘売の悲劇①

第11代の垂仁天皇の皇后である沙本毘売命
その沙本毘売命のもとに同母兄である沙本毘古王が訪ねてきて
天皇と自分とでは、どちらを愛しているか?
と突然訊ねてきた

とっさのことだったので
沙本毘売命は兄の方が愛おしいと答えてしまう

沙本毘売命と沙本毘古王は開化天皇の孫にあたり
垂仁天皇の従兄弟にあたる

古代では異母兄弟どうしの結婚は認められていたが
同母兄弟どうしはタブーとされていた

沙本毘古王は天皇を殺して妹の沙本毘売命を奪い
天皇の座につこうと考えていた
そして沙本毘売命に小刀を渡して
垂仁天皇の殺害を命じた

沙本毘売命は自分の膝枕で眠る垂仁天皇に3度小刀を振り上げるが
失敗に終わってしまう
兄である沙本毘古王と夫である垂仁天皇の間で板挟みとなり
涙が頬を伝って夫の顔に滴り落ちた
その涙で目を覚ました垂仁天皇に、沙本毘売命は兄の陰謀を伝えてしまう

それを聞いた垂仁天皇は、謀反を潰そうと軍勢を送った
沙本毘古王は城に籠って軍勢を待ち受けた
沙本毘売命は兄を心配して、その城に駆け込んだ

沙本毘売命はその時、垂仁天皇の子を身ごもっていたのだった

沙本毘売命を深く愛する垂仁天皇は
城を囲ったまま攻められずにいた
そのうち、子どもが生まれ
沙本毘売命は、その子を城の外に出して
立派に育ててほしいと垂仁天皇に託した
沙本毘売命は兄と死ぬ覚悟だったのである

沙本毘売命への思いを絶つことができない垂仁天皇は
必死に説得を行ったが
沙本毘売命の気持ちは変わらなかった

沙本毘売命は自分の代わりに従姉妹たちを妃に迎えるように伝え
兄に従って城の中で命を絶った

悲しみに暮れる垂仁天皇は沙本毘売命が生んだ子を
大切に育てることを決意し
炎の中で生まれた、その子を本牟智和気(ホムチワケ)と名付けた

沙本毘売命は垂仁天皇を愛しながらも
情熱をぶつけてくる兄の心情に寄り添い命を絶った

そして垂仁天皇も、そんな沙本毘売命を許し
優しく慈しみ
二人の間の子を大切に育てようと決意する

二人の繊細な心情を綴った切ない物語である

ライフスタイルの変化と仏教

お釈迦様が解いた仏教の教えと、現在日本で語られている仏教では

全く別なモノになっている

これは、長い歴史と距離を移動するにあたって

少しずつ解釈が変わってきたようだが

現代の仏教の解釈と、原始仏教では別の宗教と言ってもいいほどの変貌を遂げているのだ

その解釈は枝分かれをして

ある意味、柔軟な都合の良い解釈もされながら伝わってきていて

現代では、葬祭時のイベントのマニュアル的なものになっている

日常的な信仰心はなく

死を迎えた時に、その宗派に則り解釈された作法で儀式を行い

全ての人は、成仏できることになっている

しかし原始仏教は、都合良く全員が成仏できるようなものではなく

現世の行い如何によっては、成仏することなく

その業に従い転生するものと教えられている

それ故に、人々は来世の果報を願い

成仏、またはよりよい転生を願って徳を積むのである

昔の宮家の人々が、任務の遂行後や後家になった後に出家するのも

来世の果報を願ってのことであった

俗世を捨て、仏門に入ることは

尊い行いであり

生きながらに世を捨て、欲を捨て、執着を捨て

心の浄化に励むのである

それに反して、現代の儀式では

現世の行いが、どのようなものであっても成仏できてしまう…という

ちょっと都合の良い解釈がなされているのは

歴史や時代が移り変わり

ライフスタイルが変化している影響もあるのだろう

しかし、それで現代人は後生が解決できたと安心しているのではなく

みんながやっているから、とりあえず儀式として執り行い

その意味など、あまり考えていない場合も多いのかもしれない

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