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2010-04

隠居

ひとつの農家が作り高を十石より大きくしないという「きまり」は

農家の戸数が増えることを奨励するような時代でも、まだ残っていた地域もあった

 

しかし相続の問題は、そのような土地の狭い地主の間ではなく

いくらでも分け与えてもよさそうな

大地主の方がよっぽど深刻だったのである

 

このようなことは前例になると流行しやすくなり

見栄の問題などもあり

昔からのしきたりを重んじる地域では

「村内に分家は許さぬ」というふうに申し合わせた地域もある

 

家の者が「出店(でだな)」といって

別屋を建てて商売をするのはよい、とか

出店も許さないが、隠居だけは本家の別棟に建ててもよい、など

窮屈で面倒なしきたりを設けていたところも少なくない

隠居は先代の夫婦が元気でいるうちだけのことであり

亡くなれば、またもとの本家に戻るので、不都合はなかったのである

 

ところがその慣習も時代とともに内容が変わってきて

跡継ぎの長男を本家に残し

その親が、次男以下を引き連れて、相応の土地を持って分かれ

それを本家に返さずに、そのまま弟達に相続させるつもりの家を隠居と呼ぶことも多くあった

さらにまた、三男以下を引き連れて…と繰り返す親もいたのだ

そのなごりか、「インキョ」は次男のことだと思い

三男を「サンキョ」と呼ぶ地域もあった

親に付いてくる子が皆「隠居」だったわけだから

学生でありながら「隠居」と呼ぶ場合もあるのは、現代の隠居の意味と

かなりニュアンスが違ってくる

 

このようなことから「分家」を全て「隠居」と呼び

そこに年寄りがいるかいなかに関わらず、そう呼ぶことは珍しいことではなかった

 

つまり「隠居」以外で、村内で家を二つにすることを許さなかった名残がそこにはあるのである

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