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2013-08

六道輪廻と因果応報と無常を知る

仏教用語で、日常にもよく使用されているこれらの言葉

仏教の教えを知ることで、日頃の悩みから解放されることを昔の人達はよく理解していたようだ

 

現代でも、使用されている言葉も多く

昨今のスピリチュアルブームによって、これらの言葉を使用するカウンセラーも少なくない

 

しかし、本当の意味を理解するまで至っていないことも多く感じられる

 

六道輪廻は、輪廻転生の方が使用頻度が多いだろう

六道輪廻とは、生まれ変わりを繰り返す…ということであり

現世での行いが、次の生まれ変わりを決めるというもので

その行いによって行き先が決まる

六道とは「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六つである

仏教では、最終的に六道を巡らず、解脱を目指す

六道輪廻の考えが基盤にありながら行動するということは、次の世のために、極力不徳を積まないように心がけることになる

 

 

因果応報は、業の法則とも呼ばれており

良い行いも、悪い行いも、必ず自分に返ってくる…という考えである

この考えが身に付くと、自分の身に何かが降り掛かってきたとしても、自分の過去の行いを反省することはあっても、人のせいにしたり、環境のせいにしたりすることがないので、自らの行動に自然と責任を持てるようになるのである

 

 

最後に無常

この無常は、その字の通り「常ではない」ということである

人も、他の生物も、そしてこの地球も「常ではない」

いつも変化を繰り返し、未来永劫変化のないものなど存在しない

 

しかし、現代人は人が身も心も無常であることを忘れ

執拗に執着し、苦悩を訴える

 

人の気持ちは変わるものだ

自分の気持ちの変化には敏感なのに、人には「常」を要求し

「常」ではないと知ると、相手を責めることもある

 

 

人は、信仰心の有無に関わらず

この3つの仏教の教えを知るだけで、随分と人生が快適になるはずだ

 

日本と欧米のお墓の違い

欧米のお墓を見ていると

どこか日本のお墓とはニュアンスが違うことに気がつく

お墓の形状や石の種類の問題ではなく

お墓の意味そのものが違うようだ

 

欧米のお墓には、死者個人の名前が石に刻まれているが

日本のお墓には、個人名が刻まれることはほとんどない

 

かつての古いお墓には、戒名が刻まれていたが

近代になって、「◯◯家之墓」と刻まれるようになった

 

死者個人の名前は家の中に吸収され

墓誌に個人名まで記さない限りは

一見して、そこに誰が眠っているのかはわからないようになっている

 

欧米のお墓には何が刻まれているのであろうか?

 

例を上げてみると

 

「◯◯の心から愛する夫○○、◯◯そして◯◯の大切な父親、◯◯の祖父と曾祖父、悲しみの記憶を超えて燦然と輝け」

 

「◯◯の愛の記録、故人の名前、生没年、故人の年齢、すべての人に尊敬され愛された」

 

などが刻まれている

 

「尊敬され愛された」などのように故人を顕彰してはいるが

基本的には、お墓は故人のために設けられた施設なのである

 

欧米では、一般的にお墓とは「遺体(または遺骨)の置き場」と考えられている

 

この考えが、日本のお墓の定義と異なっているのである

 

欧米では、墓地を死者のための施設であると考え

墓地で、死者を追悼、追憶する…というのが基本的な定義である

 

これに対して日本は

墓地を「死者のための施設」と考えることはあまりない

 

「◯◯家之墓」と刻まれるまでは

個人の戒名などを刻んでいたので、お墓の目的は故人を供養するためである

それまでは、お墓は個人や夫婦単位で建立されるのが一般的だった

 

しかし、家墓が一般的になってくると

その事情は変化してくる

 

故人は、「祖先」という、ひとくくりでまとめられ

お墓は子孫によって継承されることととなる

 

つまり、お墓は祖先を崇拝するシンボル的な意味合いを持ってきたのである

 

それは、個人の供養というより

「祭祀の場」としての意味合いが強くなってきた

 

これは、個人を供養する思想が無くなった…と言っているのではない

追善供養など、死者個人にたいしての供養も行われているが

お墓に限った話では、「祖先の祭祀の施設」という意味合いが強くなってきたのである

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