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2013-02

現代のお墓の事情

現代は、お墓のことが家族の中で話し合われる機会が多くなってきた

どの土地にお墓を持とうか?そこには誰が入る事になるのか?そのお墓は誰が管理するのか?

…など、お墓に関して様々な問題を抱えているからだ

昔は、それほどお墓について深く考えたりすることが少なかった

なぜならば、お墓については決まっているものだったのだから…

明治以前の私たちの生活は

ある土地に生まれたならば、その土地で働き、その土地で結婚して子どもを産み

そして、その土地で老い、病気になり、子どもに扶養され

家族で死を迎え、その土地の墓に葬られる…ということが普通だった

血縁、地縁と呼ばれる、土地の人間の強い結びつきによって

地域共同体の中で、人生の始まりから終わりまでを完結させていたのだ

しかし、明治以降

人々のライフスタイルや、仕事の仕組みなど

多くのことが近代化することによって

私達の生活様式も変化して

それ以前のような地域共同体で全てが完結するような人生ではなくなった

国際経済の中の一員としてこの国が成り立っている以上

産業構造は必然として変化して

私たちは、一カ所にとどまって生活をするようなことは少なくなってきた

ライフスタイルの変化によって

死の迎え方も、従来通りというわけにもいかない

墓の所在も、変化していく

それぞれの家族に、それぞれの死の迎えかた、お墓の構え方の考え方があり

ライフスタイルに合わせて、その家族の最善を尽くしお墓のあり方を考えていく

たとえ女性であっても

一人っ子なども多い関係上、夫婦で双方の両親のお墓の管理をする場合も発生してくる

その中で、様々なトラブルの発生も仕方がないのかもしれない

ここ100年程度のお墓の事情の変化には

現代の人々は、良い解決方法を見いだせていないのかもしれない

それぞれの思惑が交差する中に

お墓の問題が取り残されていることは

生命の価値を軽視しているようにも見える

聖の特性

日本を代表する民族学者である五来重氏は著書の中で

聖には「隠遁性」「苦行性」「遊行性」「呪術性」「世俗性」「集団性」「勧進性」「唱導性」などの八つの性格がある

と述べている

その五来重氏の著書から、聖の特性について引用する

「…このような宗教者には、呪力を身につけるための山林修行と、身のけがれをはらう苦行があった。これが山林に隠遁すり聖の隠遁性と苦修練行の苦行性になる

原始宗教では死後の霊魂は苦難に満ちた永遠の旅路を続けると考え、これを生前に果たすために巡礼が聖の遊行性となる。

こうした行から得られた呪験力は予言・鎮魂などの呪術に用いられるので、聖には呪術性がある。

また原始宗教者は一定期間、山伏の夏行や入峯修行のように、何ヶ月か隠遁と苦行のきびしい掟があるが、それ以外は妻帯や生産などの世俗生活を営むので、俗聖と呼ばれる世俗性がある。

なお原始宗教ほど信仰を内面的な質より作善(宗教的善行)の数量ではかるので、多数者による多数作善を重んじるため、集団で作善する集団性がある。

多数者の集団作善は大衆を動員して道や橋をつくり、寺や仏像をつくる勧進に利用されるので、仏教化した聖の最大のはたらきは勧進性であった。

勧進の手段として説教や祭文などの語り物と、絵解と、踊念仏や念仏狂言などの唱導をおこなう。これが聖の唱導性だがこれが庶民文学や民間芸能となって日本文化に寄与したのである」

別所について

「…比叡山、高野山、東大寺、興福寺などの周辺に多くの別所があって、本寺の研学や修業の過程から堕落した念仏者や、みずから念仏往生をねがう僧や聖が隠遁した。

比叡山には、七別所があり、西塔の北谷、黒谷別所からは法然が出るが、大原別所からは良忍を出した。大原別所の聖たちは高野聖との往来が最も多く、融通念仏という集団多数作善の方法を案出して、盛んに勧進活動を展開する。

一方、高野山にも多数の別所があり、天野別所とともに莫大な高野聖を擁した。

東大寺は南山城の光明山別所が有名で、永観、重誉、実範、心覚、明遍などの著名な念仏僧が隠棲したが、心覚と明遍はもう一度高野山に再隠遁して高野山の中心人物となった。

また興福寺の別所に南山城の小田原別所があり、教懐も高野山に来て、小田原別所聖とよばれて初期高野聖の祖となる。」

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