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2011-06

日本人の死生観

現代、人は死んだらどうなるのか?

という議論を日常的に活発的に交わされることは、あまりないが

この「死生観」は、生き方にも関わってくる考え方であることは間違いない

 

死んだらどうなるのか?

人それぞれ

宗教、人種、個々によっても変わってくるだろうが

この考えの源が、墓のありかたも左右する

 

人は死んだら「無」である

とい考え方は、科学至上主義の考え方に多く

慣習的に墓参りをするが

「死」を不謹慎…もしくは「けがれ」と考え

墓地に近づくことも、何か気味の悪いこと…と捉えがちになる

 

元検事総長の伊藤栄樹氏の著書に

「人は死ねばゴミになる」というものがある

内容は、人は死んだらおしまいだから

精一杯、生きていこう!という応援メッセージであるが

どこか先祖とのつながりを感じにくいタイトルである

 

本来、日本人にとって死者は身近な存在であった

縄文時代の遺跡などを調べていくと

人々が、先祖を日常の中にみいだし

墓も、遠くではなく

日常的に使用される道沿いにあったと思われる

はっきりした証拠があるわけえはないが

この時代の墓参りは

遠くの墓場に、盆や彼岸に行く年中行事ではなく

生活の一部として、共に生活していたのではないか?と考えられる

 

それも、小さな家族単位での弔いではなく

部落単位で、死者を弔い

死者を生きている人と同じように親しみを持った存在として

あるいはそれ以上の存在として大切にしてきたのではないかと思われる

垣間見えるものだけでも

死者を「きたない・こわい・たたる」などと考えていないことがわかる

ましてや「無」として捉えていることはまずなかったであろう

 

死者を「無」と捉えることは

先祖または他者への感謝が薄れ

個人主義に偏る可能性がある

 

先祖の存在を己の中に見ることで

生きている人同士のつながりだけではなく

過去の人類とのつながりを感じるはずである

 

過去を感じることは

自分の子孫、すなわち未来を感じ願うことにつながる

 

その感じる心の象徴が「墓」なのではないだろうか?

「墓」と「死」の解釈

前回、墓はシンボル(象徴)であると説明した

 

墓は、人の死後に祀られるシンボルであるから

その「死」に対する考え方が関わってくることは当然のことである

 

人が…その民族が、「死」に対してどう考えているかによって

墓の取り扱われ方も変わってくる

 

「死」に対して考えられる内容には以下のものがあると思われる

 

●     人が亡くなるとは、どういうことか?

●     人の死を、どう考えたか?

●     人は亡くなると、どうなるのか?

●     死後はどこへ行くのか?

●     あの世はあるのか?

 

大きく分けて、このような課題が語られるのではないだろうか?

 

これがわかっていないと

墓のありかた自体が曖昧になってしまう

 

一般的にこれを「死生観」「死後観」「霊魂観」「他界観」などと呼ばれている

 

これは人々が何千年もの長い年月をかけて

先祖代々、大自然から学んだものであり

先祖の偉大な智慧から生み出されたものである

 

それは、多くの人々によって育まれて、受け継がれてきた

民族の宗教観である

 

これは「民族宗教」といってもよいだろう

 

この民族宗教は、先に述べたように

自然から学び、智慧を集めたものだが

そこにさらに、外来の宗教と結びつき

新たなものが付け加えられたり

アレンジされたりして

さまざまな価値観が発生していったのである

 

この民族(民族宗教)が違えば

当然、葬儀の方法、墓のつくり、埋葬方法などが変わってくる

 

それぞれの民族によって

死の意味が違えば、当然その方法も違ってくる

 

逆に言えば

その意味を知らずに一連の儀式を執り行なうことは

表面的、事務的になってしまい

心の入らないものになってしまう

 

なぜこの儀式を執り行なうのか?

そこには何の意味があるのか?

を考え、学ぶことにより

心を入れて儀式を行なえるだけではなく

基軸を理解できるので

都合により変更を余儀なくされる場合でも

その民族の常識を大きく脱することはないはずだ

 

例えば、イスラム教では

「火葬は神を冒涜する」

と考えられているので土葬にする

そして霊魂は埋葬した翌日に体から抜け出ると考えられているので

土葬は簡単にし、顔を聖地メッカに向け右側臥位にする

三日間、喪に服したあとは日常に戻り、墓を作ることもない

 

このように、民族、宗教によって

死後の考えが違うので

よく理解し、儀式を行なうことで

自分のルーツを知る良き機会となることだろう

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