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2010-08

先祖を想い「お墓参り」

 

今回は、お盆ということもあり

私の個人的な心情を綴ってみたいと思う

 

「先祖」というキーワードを元に

色々な文献から、解釈をしたコラムを数回書いてきた

 

文献を未熟な解釈ではあるが

紐解いていくにあたって

自分の中で、先祖に対しての想いが変化してきた

 

その想いが変化している最中に

祖母が他界し、今回お盆を迎えることになり

お墓参りという毎年の恒例行事が

私にとって大きな意味をもたらすものとなったことは間違いないのだ

 

自分の中にある先祖の遺伝子を感じ

そこにある意味、自分の存在、自分の子どもの存在…など

納骨されている場所を確認し

この先祖があってこその自分の存在なのだと…

あたりまえのことが

今まで以上に深く実感できた

 

自分の生きる意味や、存在の意義を考えるにあたって

先祖の存在をより深く感じることは

日頃の行いにも影響を及ぼすであろうと実感できる

 

自分の中にある「無形の家督」を確認し

その「無形の家督」によって

良くも悪くも

今の自分が結果として存在している

 

先祖から受けた家督を

どのような形で子孫に継承していくのかが

私のこれからの生き方の意味なのだと感じた

 

しかし、人は日常に流され

先祖の存在を、常に身近に感じることは

現代では難しいことでもある

 

だからこそ、節目を通じ

先祖の存在を自分の中に感じる機会が必要なのだ

 

最近、墓の存在を軽視する傾向も見られるが

墓を軽視することは

自分の存在や生き方を軽視することにつながるようにも感じる

 

お墓参りを大切にすることにより

自分をより大切にすることができるような気がした

 

これを機に

お盆や、お彼岸、法要に限らず

常に先祖の存在を身近に感じるために

常々、墓に足を運んでみようと決心した「盆」となった

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