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2010-05

先祖となるものの想い

どんなに古い家系であっても

もとを辿れば、そのほとんどが当時の分家であり

誰かが新しく、その家の「御先祖様」になる家ばかりである

 

代々続いている家であっても

これこそが本物の本家だ!と断定できるのは

どこを探してもないのが普通である

 

しかし例外もあって

まれではあるが、神の杜に奉仕する家の中で

日本の歴史の始まりと思われる神武天皇以前から

代々、血統を正等に伝える家があると聞く

 

人と同じように家にも「天寿」があると言われていて

古き家が逝き、新しい家が残るのは

自然の慣わしなのかもしれないとも思われる

 

日本の歴史を見てみても

戦国時代のように

古い豪族が衰えやすい時代もあった

 

家の天寿を少しでも伸ばそうとする努力は

現代よりも、昔の方が心を配っていたことは間違いない

 

それでも親子、家族で心を合わせ

本家が弱くならないように無理をせず

そして、分家も健やかに栄えていくように考えた

だから、十分な計画が立たないうちに、それを実行に移すようなことはなかったのである

 

昔は、同じ村に分家ではない新しい一家を同族家系から出すことは

稀なことであった

驚くほど遠くに一家を創立するのは

本家への影響を考慮してのことだろう

 

昔の人々にとって「耕地」は、最も安全な財産であった

農業以外に生計を立てられるものがない地方が多かったからである

 

自分で原野を田畠に開拓した開発地主は

あまり働かなくても生活ができたが

年貢を納める作人でも

労を厭わなければ、生活には困らず

安全に子孫を育てていくこともできたのである

だからこそ「土地さえ残せば」という考えが浸透してきたのである

 

しかし「土地さえ残せば」という親の愛は大きく

本家の土地を分け与え続けると

本家が弱ってしまうので

次男以降には、自分で土地を開拓し

自分で増やした土地ならば、分け与えても問題ないだろと

年老いても、子どもに与える土地の工面に労を費やした人も多かった

 

そのような苦労から

全く別な業種に手を出す人がいたのにも

このような動機があったことは否めないだろう

今と昔の分家の違い

前回、昔の分家は隠居と呼ばれていて

家を継ぐもの以外は、学生であっても隠居と呼ばれていたことを書いたが

昔は、現代のニュアンスの分家というように

生計も家も、まったく独立したような形として解釈されていなかったのである

 

昔の隠居や部屋と呼ばれていたものは

部屋を別にするが、雨や休みの日はそこで寝起きをし

食事も簡単なものは、めいめいの炉で整えたとしても

「祝い節句」などの改まった日はもちろん

田植え、蒔き物、刈り入れ、取り入れや、味噌や漬物の仕込みなど

大きな作業のある際には、家族が主屋に集まり共同で作業を行い、食事も共にした

多人数が、食事をするような設備は主屋にしかなかったのである

 

建物は別でも、基軸となる家はひとつで

独立した生計の単位ではなかった

 

これが、日本の大家族制の特徴だったのだ

 

ところが、世の中が変わってくると

家族の考え方も変化し

「どんなに小さくても家は家」という考え方に変わってきた

 

その変化は、合理的な面もあったが

まだ、心細い点も多く

手仕事などを拡張し、賃金を払って人を雇い、体面を保つようにしていた

その結果、主屋をアテにして行ってきた行事などを簡略化することは

仕方の無い選択だったのである

 

慣習は、文字や言葉によって伝えられたものではなく

なんとなく代々行われてきたものなので

先祖に対する考え方にも変化がみられ

「よい先祖になろう」という昔の日本の誇りが

「死」を連想することから敬遠されてきて

だんだんと形式ばかりのものになっていく傾向にあった

 

昔の慣わしが良いというわけでも

現代の家族のありかたが正解というわけでもなく

人々が暮らしやすいように、幸せになるように

生活スタイルを改善していくことは、良いことである

 

しかし、理由があって行われた慣習を

改良していくためには、良き点、悪しき点をよく理解し

取り入れるもの、改善するものに振り分けなければ

我々の祖先が行ってきたことが全く無駄になってしまう

 

そのためにも歴史や、その背景を理解することが重要であり

慣習をより高め、次世代に繋ぐ努力が必要となってくる

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