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2016-10

倭建命の遠征②

小碓命(コウスノミコト)は当時はまだ15歳か16歳の少年だった
父に与えられた熊曾討伐の使命を果たすために
伊勢にいる叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)のもとを訪れた

倭比売命は垂仁天皇の娘であり
天照大御神を祀る伊勢神宮を管轄していた

倭比売命は小碓命に少女の衣装を授けた
小碓命はその衣装を持って剣を懐に
父の使命に応えるために九州南部へと向かった

朝廷に刃向かう熊曾建(クマソタケル)の兄弟の屋敷は
軍勢で固められていて容易に攻め込めなかった
じっと機会をうかがっていると
屋敷の増築完成を祝う宴が開かれるという
小碓命は髪をおろし
叔母からもらった衣装を身につけ少女に変装した

少女の姿で宴に潜入した小碓命は
熊曾建に気に入られた

熊曾建は、小碓命をそばに置いて酒盛りを始めた

宴が最高潮になったとき
小碓命は懐にかくしていた剣を抜き
熊曾建の兄のほうの胸を刺しぬいた

その光景を目の当たりにした弟は
慌てふためいてその場を逃げ出した

小碓命は逃げ出す弟を追いかけて
尻に剣を突き立てた

弟は息も絶え絶えになりながらも訴えた
「西には我ら兄弟よりも強いものはいなかった
ところが大和には我らよりも強いものがいたようだ
建の名前を献上すりので
今後は倭建御子と呼んで敬おう」

しかし、その訴えを小碓命は聞かずに
熊曾建の体を斬り裂いた

九州の熊曾建を屈服させた小碓命は倭建を名乗り
その足で出雲建を倒すために出雲へ向かった

出雲建に近づいた倭建は
木で偽物の剣を作り
それを出雲建に渡して立会を申し込んだ
出雲建は受けて立ったが木の剣では戦うことができない
あわてた出雲建を倭建は一刀両断に斬り倒した

大任を果たした倭建は
晴れて大和へ帰還した
父に今回の戦果を報告するために…

倭建命の遠征①

12代の景行天皇は、多数の妃を召しており
子の数は80人とも言われている
その中で特別に愛情を注いでいたのが大碓命(オオウスノミコト)と小碓命(コウスノミコト)の兄弟であった

あるとき景行天皇は、9代の開化天皇の孫にあたる美濃(岐阜県)の大根王(オオネノ
ミコ)の二人の娘がとても美しいとの評判を聞き、妃にすることにした
そこで、大碓命を派遣して迎えに行かせることにした

ところが、その二人の娘を目にした大碓命は
あまりの美しさに自分のものにしたくなった
そして景行天皇を裏切って二人と結婚し、天皇には違う女性を差し出したのである

景行天皇は、その事実を知って悩んだが
大碓命をとがめることはなかった

大碓命は、気まずい思いから天皇と顔を合わせることを避け
朝夕の食事にも同席しなくなった
天皇は大碓命に態度を改めさせるために、小碓命に説得を頼んだ

小碓命に説得を命じて5日が経っても
大碓命は食事の席にやってこなかった
天皇は小碓命に、まだ話をしていないのか?と問いただすと
すでに教え論したと答えた

どのようにしたのかと聞くと
夜明け前に大碓命が厠に入るのを待ちかまえて
手足を引きちぎってムシロに包んで投げすてたと言う

小碓命は天皇の言葉を「復習せよ」と誤解をして
勝手に制裁を加えてしまったのだ
父思いで誠実な小碓命は
父を悲しませた不実な兄が許せなかったのだろう

しかし、この行為に天皇は恐ろしくなった
この子が秘める荒々しさは危険に感じた

勇猛ではあるが、災いを招く危険もあると思ったのだ

父に忠誠を誓った証の兄への制裁
しかし父はその忠誠を疎ましく思っていた

そのころ九州南部では、熊曾建(クマソタケル)という二人の兄弟が
朝廷に従わずに反抗を繰り返していた

景行天皇は小碓命を遠ざけるために
熊曾建の討伐を命じた

小碓命が戦いで亡くなってもいいと考えての派遣だったのである

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