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2013-09

お墓を作らない選択をする人々

近年のライフスタイルの変化により

お墓を持ちたくない、お墓に入りたくないと願う人々も増えてきた

 

特に団塊の世代の女性に多いという…

 

一体、どのような理由からお墓に対する考えの変化が生まれてきたのだろうか?

 

仏事の経済的、精神的な負担を嫁や息子などに背負わせたくないと思っていることも一つの理由のようだ

 

お墓を守ってくれない不安から「お墓を作らない」という選択肢が生まれたのだろう

 

では、そのように考える人々は、どのような最期を自己決定しているのだろうか?

 

3つの例を挙げてみる

 

1、骨壺だけで良いと思っている

2、散骨したいと思っている

3、献体したいと思っている

 

葬儀にしても、社会的に大きな葬儀にすることなく

「密葬」という形をとる人も増えてきている

 

団塊世代は、地域社会の絆が薄れ始めてきた最初の世代だ

都会に暮らし、故郷との縁も薄れてきているならば

義理で参列してもらうより、本当に心を通わせた人だけに送ってもらいたいと願う人も多い

 

骨壺のみの選択をする人は

あまり宗教心は強くなく、後生のことなどをあまり考えられず

夫などが他界した場合も納骨をせず

骨壺を家に置き、時には話しかけならが

その亡骸と生活を共にする人も多いという

 

仏事は、あくまでも仏教に則り

故人が成仏するために行うものであり

宗教心が薄ければ、故人の成仏よりも遺族の心の平安が優先されるのかもしれない

 

生前、散骨を希望していた夫の骨壺を

勇気が出ずに、そのまま家に置いておく場合もあるという

 

散骨については、日本にはそのことに関する法律が整っているわけではない

昭和23年の施行された法律が、そのまま現代も使用されているので

散骨については想定されているわけではなく

法務省も、許可しているわけではないが、容認しているような形になっている

 

献体に関しては、医療の進歩に貢献する尊い行為であるが

献体希望者が多ければ、望み通りになるわけでもなく

なかなか遺族の元に遺骨が戻らないことなどもあり

遺族の心理的ケアも問題になってくる

 

このように、ライフスタイルの変化によって

人々の自分の死後の考えも多様化しているので

心の問題も踏まえながら、本人と遺族が一番良い選択をしていくように

専門のコンサルタントなどが必要な時代なのかもしれない

 

仏教の現代の解釈

お釈迦様が解いた仏教の教えと、現在日本で語られている仏教では

全く別なモノになっている

 

これは、長い歴史と距離を移動するにあたって

少しずつ解釈が変わってきたようだが

現代の仏教の解釈と、原始仏教では別の宗教と言ってもいいほどの変貌を遂げているのだ

 

その解釈は枝分かれをして

ある意味、柔軟な都合の良い解釈もされながら伝わってきていて

 

現代では、葬祭時のイベントのマニュアル的なものになっている

 

日常的な信仰心はなく

死を迎えた時に、その宗派に則り解釈された作法で儀式を行い

全ての人は、成仏できることになっている

 

しかし原始仏教は、都合良く全員が成仏できるようなものではなく

現世の行い如何によっては、成仏することなく

その業に従い転生するものと教えられている

 

それ故に、人々は来世の果報を願い

成仏、またはよりよい転生を願って徳を積むのである

 

昔の宮家の人々が、任務の遂行後や後家になった後に出家するのも

来世の果報を願ってのことであった

 

俗世を捨て、仏門に入ることは

尊い行いであり

生きながらに世を捨て、欲を捨て、執着を捨て

心の浄化に励むのである

 

それに反して、現代の儀式では

現世の行いが、どのようなものであっても成仏できてしまう…という

ちょっと都合の良い解釈がなされているのは

歴史や時代が移り変わり

ライフスタイルが変化している影響もあるのだろう

 

しかし、それで現代人は後生が解決できたと安心しているのではなく

みんながやっているから、とりあえず儀式として執り行い

その意味など、あまり考えていない場合も多いのかもしれない

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