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行方不明者の墓~一家族の決断~【1】

私の弟は
行方不明者である

知的障害者だった弟は
中学の途中から、親元を離れ全寮制の施設に入所した
言葉を発する人もいたが、弟は擬音を発するのみ
こちらの言うことは理解できるが
自分の意思は伝えられない

弟が中学を卒業して間もないころ
北海道は新緑の季節
施設では、敷地内の畑で春の作業を行っていた。

そこで突如、弟は失踪した-

人口、2000人強の小さな町で
一人の少年が失踪
しかも、本人は話すことができない知的障害者である

車で2時間ほどの親元に電話で連絡が入ったのは、失踪から約3時間経過した
午後6時ころ
最初はすぐに見つかるだろうという施設職員の願いもむなしく、親に連絡する決断をしたのだろう
「どうして、もっと早く連絡をくれなかったのですか!?」
と親は怒っていたが
このような子供達の入所施設である
短時間の失踪騒ぎは1度や2度ではない
しかし、3時間経過して
事は、普段の迷子騒ぎではない様相をかもし出していた
5月といえども北海道の春の夜は冷え込む
軽装のまま、山に入れば、死を意味することは、みんなわかっていた
すぐに警察に捜索願いが提出され
捜索隊が、山に入っていく

両親は、施設のある町に入り
高校2年生の私と、小学生の妹は家で留守を守ることになった。

私は、小さいころから年子の弟と一緒にいた
知的障害の疑いがでてきたのは3歳も過ぎたころ
男の子は言葉が遅いというけれど
あまりにも遅すぎることを心配した母が
児童相談所の門をくぐった

いたずらばかりする弟
普通ではない弟

私は、「普通の弟が欲しかった!」「こんな弟いなくなればいい!!」と思ったりしたこともあった

弟が、失踪した日の夜
自分が思った言葉を感じ、弟はいなくなってしまったのではないか?
と、恐怖に押しつぶされそうになりながら
眠れない夜を過ごした

平成元年5月18日の夜

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