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皇太子の禁断の恋

実兄二人が皇帝となった男浅津間若子宿禰命は仁徳天皇の第4子だった
男浅津間若子宿禰命は体が弱く長く病床についていたので
皇位継承を断っていた
しかし妻たちの説得に応じるかたちで第19第允恭天皇となる

この皇位継承問題に関しては背後に外威として政権を支えていた
葛城氏の思惑もあったと言われている

允恭天皇は新羅王が派遣してくれた薬に詳しい金波鎮漢紀武(コムハチニカニキム)によって病も癒えた

允恭天皇は皇位に就くと
臣下や豪族の氏姓を正すことに着手した

臣下や豪族の中には
古くから朝廷を支えてきたとウソを言って
よりよい氏姓を獲得して出世しようとたくらむものが多くいたからだ

甘樫の丘(現在の奈良県明日香村)にある甘樫坐神社に群臣を集め
煮え立つ釜の中に手を入れる盟神探湯の儀式を行い真偽を占った
これによって、偽りの氏姓をかたる豪族はいなくなった

允恭天皇には9人の子がいた
允恭天皇は最年長の木梨之軽太子(キナシノカルノミコ)を皇位継承者として皇太子とした

しかしこの木梨之軽太子は愛してはいけない人を愛していた
同母妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)である
この時代の皇族は、異母兄弟との間であれば問題にはならなかったが
同母妹は決して許されない間柄だった
このスキャンダルが世間に知れ渡ると
木梨之軽太子は次期天皇には相応しくない人物と見られ
人々の信頼は無くなっていった

允恭天皇が亡くなり皇位継承問題が浮上すると
木梨之軽太子の弟である穴穂命(アナホノミコト)に次期天皇としての期待が集まった
その動きに反発した木梨之軽太子は
大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネ)の家に駆け込み武器を用意した

その動きを封じるために穴穂命は屋敷を囲んだ
木梨之軽太子は降伏し
伊予の湯(現在の松山の道後温泉)への流刑の処分が下された

流される木梨之軽太子は残された軽大郎女に歌を詠んだ
「鶴の声が聞こえたら私の名前を口にしてほしい」と

軽大郎女は木梨之軽太子のもとへ向かい
めぐり合えた二人は世をはかなみ死を選んだ

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