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第四六回 「墓石の原点~その9~」・・(平成21年12月1日)

日本神話が物語るお墓の意味③
 (6)日本最初の墓石
 千引岩はイザナミの埋葬地の入口に置かれた巨石で、紛れもなく墓石です。それも日本で最初に文化的な意味づけをなされたシンボルとしての「墓石」です。
 千引岩(=墓石)は次のように意味づけされます。

① 霊力を持った墓石
 この石には死者が地上に出ること、生者が地下の死者を暴くことを塞ぎり、タブーを犯すものを追い返す霊力があります。
 汚いからではなく、死者が大地に帰り、土と同化して新たなものを再生する神聖な営み(自然の理)を保障するためです。それは「二次葬」「複葬」「再葬」といわれる埋葬法をあわせて考えるとよく理解できます。
 イザナギの「きたない」という意識は、むしろタブーを犯した「罪と罰」であることを思い起こすべきです。

② この世とあの世の境界石
 「あの世」を身近なところと感じる日本人にとって、あの世との境界を示すシンボルは大変重要です。
 それは単なる「目印」としての意味だけではありません。のちに「鳥居」「道祖神」「塞の神」「六地蔵」などに発展する原型ですが、あの世を含む異界との境界にあって、異界からの災厄を防ぎ、異界へ行く人の安全を守る「霊力」を持つものです。

③ 死者と会話できる石」
 イザナミとイザナギが千引石をはさんで「事戸を度す」シーンには大変重要な意味があります。
 神話には「其の石を中に置きて各対ひ立ちて事戸を度す」とあります。事戸(決別)の内容はさておき、これは今日、私たちが「墓石」を中に置いてご先祖様に話しかけているシーンそのものです。
 神話時代には墓石(またはそれに相当するもの)と向かい合って、死者と会話したのが日本人です。
 墓石そのものが、この世の人にとって「死者」となり、死者にとって「この世の人」となる役割(霊力)を持っていたからです。
 時代が下るとこれが「石に宿る死者の霊」という意味の「依り代」としての墓石となります。一方「位牌」は屋内での死者の霊の「依り代」の役割を果たしています。

 お墓参りとは、「死者をお祀り(後代の供養)」して、その後で、「死者と出会って、心ゆくまで会話を交わす」ことですが、その原点となるのがこの神話です。
 こうしたことはみな、墓石には、生者と向かい合って会話するだけの霊力が備わっているもの、と理解することができます。
 だから花を供え、香を焚き、水をあげ、手を合わせて祈りをささげる墓前祭祀の習慣(儀礼=シンボル)ができたのだ、と思われます。 千引岩を原点とする日本人の「墓石」は、単なる「墓標」などではありません。

④ 墓石の形状コンセプト
 日本のお墓とヨーロッパやアメリカなどのキリスト教の国々のお墓とは明らかな違いがあります。
 もっとも違う点は、日本の墓は生前の痕跡をほとんど持ち込まない、あるいは残さないということです。
 たとえば、日本の墓地では、欧米のお墓のように顔写真や肖像など生前の姿や遺影がほとんどありません。もちろんこれは宗教(文化)の違いからきています。
 キリスト教では、死ぬことがこの世の終わりではなく、「最後の審判の日」までがこの世の延長としてあるからです。キリスト教では「最後の審判の日」まで、お墓の中でもこの世の「生」が続いているからです。
 ところが日本神話では「事戸を度」した時にこの世との決別が確定し、死者はこの世とはまったく別の世界(あの世・他界)に属しますから、この世の面影をいつまでも引きずらず、むしろ抽象的な形状の墓石を「シンボル」とします。
 日本に仏教が伝来してから建てられるようになった「仏塔」形式の墓石がその典型です。
 いうまでもなく仏塔は、お釈迦様のお墓(ストゥーパ・卒塔婆)を素型にして発展したお墓ですが、理想的な仏教の死後の世界(浄土)へすでに死者が往って生まれかわっていること(極楽往生したこと)、また「ホトケ様」になっていること(成仏したこと)をシンボル化した墓石です。
 キリスト教でも「十字架」を墓石にしますが、そこに生前の写真などを置いて、まだ最後の審判を受けていない故人の生前の姿を残すところが、日本のお墓との一番の違いです。
 こうした日本人と欧米人のお墓に対する本質的な違いは、丸山先生の「執拗低音(バッソ・オスティナート)」のように、それぞれの国の人々の意識(文化)の底(無意識)に、時代を超えて常に流れています。

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