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めでたい日

新しい年になり、1ヶ月…1/12年が経過した

正月には、決意も新たに目標を掲げた人も

1ヶ月も経つと、今年の目標も雪に隠れてしまった人もいるかもしれない

 

お正月は「あけましておめでとう」という言葉の通り

「めでたい日」としてお祝いムードが漂っている

その証拠に、前年に近親者を亡くした者は

「喪中」と称し、正月を派手に祝うことなく

年賀状での挨拶も割愛して、おめでたい雰囲気を押し殺している

 

しかし、現代ではごくあたりまえに使われる「祝い」の言葉は

その昔は、少しニュアンスの違うものであったことをご存知だろうか?

 

本来の「祝う」の意味は

「身と心とを清くして。祭を営むに適した状態でいること」

を言ったものなのだ

 

もとは「斎う(いわう)」という文字を書き

神の御社の祭りの用意も「いわい」であった

祭をする人々が行いを慎み、穢れた忌まわしいものに触れず、心を静かに

和やかにしているのが「祝い」であり

その慎みが完全に守られている状態が

人に「めでたい」と言われる状態であった

 

心静かに、穏やかに、身も心も浄化している人を

「あの人はめでたい」と言うのだが

現代で使用すると

「何も知らずに能天気な人」の意になってしまい

ニュアンスがかなり違ってしまうので注意していただきたい

 

日本人の2大年中行事と言えば「盆」と「正月」である

正月はめでたくて、盆は死者との再会行事と思っている人も多いだろうが

元々は、正月も死者との再会の日だったのである

昔は、盆でも最近不幸が無かった家などは

「盆」の挨拶でも「おめでとう」と言っていたのだ

 

そもそも、正月に現代のように誰とでも祝言を交わすのは

そう昔からの慣わしではなく

元々は、家単位で「めでたい日」を祝っていたのだが

武家が元旦を「参賀の式日」と定めて

全ての配下の者を出頭させたのが始まりだとも言われている

 

「家来」という言葉も、元は「家礼」と書く者が多かった

それは、その家の者でなくても

正月やその他の礼儀だけは、一家一門の人々と同じ作法を守る…という意味であったことが想像できる

 

そのような礼儀が拡張して

友人、同僚、知人、しまいには1度会っただけの人にも

年賀状を出すという風習になっていったのである

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