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お墓の性格の変化

お墓は何のためにあるのだろうか?

昔、土葬であった関係上

その人の「死骸」が埋葬され、大地へ還っていく時間的経過を過ごす場所と考えられてきた

これが、物質的な時間経過

そして、身内が死を迎えることに

残されたもの達は、その死を受け入れ、もとの生活に戻り、もとの精神状態に戻るまでには

時間がかかる

その精神的な時間経過を過ごす場所として、お墓や墓地が存在すると考えられる

その物質的、精神的な時間経過を支えるお墓や墓地の性格に変化がみられるようになった

現代社会の変化とともに、ライフスタイルも変化し

その最終地であるお墓にも当然のように変化が表れてきたのである

昔、お墓とは

自分の存在の絶対的な尊厳を持った存在の先祖がねむっている

その崇拝すべき存在がある場所であるがゆえ、必然的に尊厳性が出てくるのである

そして、その存在を未来永劫、代々受け継いでいくために

親族一同が守っていく

この永続性も重要な要素であった

最後に、固定性

昔は、同じ土地で生まれ、育ち、仕事をして、家族を持ち、老いていき、そして死を迎える…

同じ土地で人生のスタートからゴールまで完結していたのである

その意味でも、お墓の固定制は、必然なものとなってくる

このように、昔はお墓と言えば

「尊厳性」「永続性」「固定性」という性質を当然のように持っていた

しかし、現代では、この3つの性格を守っていくことは難しくなってきている

最近では、「ご先祖様のおかげで…」とか「ご先祖様に感謝する」などの言葉を聞かなくなってきているように思う

昔はよく、特別恵まれた人に遭遇した場合など

「この方は、どれだけご先祖様が徳を積まれてきたのだろう…」

と感嘆の言葉を述べることも多かった

何かあれば、全てはご先祖様のおかげなのだ

そうして、自分の存在ばかりではなく

自分の身に起こる幸福に対しても、ご先祖様の行いのおかげだと感謝する

そんな日常においては、お墓や仏壇の存在が非常に需要になってくるのは当然である

ご先祖様を意識することなく、ライフスタイルも流動的で

転勤も多く、親戚一同が同じ部落にいる…ということが少なくなってきた現代では

お墓の存在そのものが、とりあえずの儀式になって

残された人間の便宜上の都合でお墓のスタイルを変化させるようになってきている

現代社会に生きている私達に

昔のような、お墓のあり方を押し付けることは難しいことだが

今の自分の存在をご先祖様に感謝する習慣だけは

子ども達にも伝えていきたいものだ

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