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お墓と生きる意識

科学的根拠や、物質至上主義は

現代が抱える合理主義なのか、つながりの破滅なのか…

 

お墓の問題を考える上で

とても重要になってくるのが、意識や考え方である

 

現代は、科学的根拠がないと認めなかったり

目に見えるものが全て…という考えが当たり前になってきている

 

その結果、目に見える動きのみを正解とする考え方である

 

日本が、高度経済成長を遂げると

その考え方は顕著になっていき

 

例えば、人のモノを盗んで手に入れても

モノが手に入れば同じこと…というように考えてしまう傾向も出てくる

 

よく人のモノを盗むとバチが当たる

などと言われたりするが

その科学的根拠がなければ

バチなど存在せず、もし本当にあったとしても

その因果関係を証明しなければ、バチなど存在しないことになる

 

輪廻転生の考え方も

生まれ変わりの証拠が無いので信用しない

死んだら全て終わりだから

生きている間は好きにしていい…という考えが生まれる

 

来世の果報を願い、現世で功徳を積む…

とい考えがなければ

どんな方法をとっても、物質的有利になればなんでも良い…という危険な考えが生まれてくる

 

昔は、ご先祖様が功徳を積んだおかげで幸せに暮らせる…とか

子孫に不徳の影響がでないように、行動に気をつける…などの考えもあったが

 

現代では、薄れてきているように感じる

 

その意識の違いは、お墓のあり方にも大きな変化を与えているようにも感じる

 

お墓が何のためにあるのか

 

ただの死後のすみかなのか?

 

家族で守り、ご先祖様に感謝する場所なのか?

 

ただの習慣なのか?

 

みんなが建てるから建てるのか?

 

縦のつながりも、横のつながりも薄くなりつつある現代に

お墓のあり方をもう一度見直すことができたなら

 

自分の言動を見直す機会になるのかもしれない…

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