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古事記や日本書記は何を参考に作られたのか

日本最古の歴史書として
知られている「古事記」であるが
この「古事記」のもとになった書物が存在していたらしい
それが本当ならば、日本最古の歴史書は別な書籍…ということになるが
確認ができている日本最古の歴史書としては「古事記」で間違いないであろう

その古事記のもとになったと言われているのが
「帝紀」と「旧辞」である
稗田阿礼はこれを全て暗誦したと言われている

 

この「帝紀」と「旧辞」も、どちらも天皇家の歴史について書かれたものであったらしい
「帝紀」の正式名称は「帝皇日継」(すめらみことのひつぎ)といい
「旧辞」の正式名称は「先代旧辞」という

 

「帝紀」に記されていたものは
天皇の先祖について、天皇の御名について、皇后や、子どもの人数
その時代の、重大な事件などの記録、御陵の場所…
など、天皇にまつわるありとあらゆる事柄が
皇位継承順の記されている

それに対して「旧辞」は
天皇統治以前の神話や伝説などを
少し崩した漢文体で記されている

この内容を見ると

「古事記」の上巻は「旧辞」
中・下巻は「帝紀」の内容を多く含んでいることがわかる

では、この2冊の書物は
いつごろから存在していたのであろうか?
この書物は、現存していないので
はっきりとしたことは言えないが
六世紀中ころの継体・欽明天皇のころには存在していたのではないか…
という説が有力である

この時代から、天武天皇が即位した約100年の間に

受け継がれ、語り継がれた内容は

その家によって、都合良く変化していき

内容の違う本が、何冊も誕生してしまったらしい

 

そのどれもが現存していないが

「古事記」と「日本書記」の原型となった歴史書が存在していたことは

間違いないらいしい

 

その「帝紀」と「旧辞」を全て暗誦したとされる

稗田阿礼は

奈良県大和群山市稗田町にある賣太神社に祀られている

その境内には現在「かたりべの碑」が建てられている

 

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