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第二四回 「古代日本のお墓~その2~」・・(平成20年2月1日)

引き続き、古代日本のお墓について考えてみます。

【古墳時代のお墓】

 古墳時代は、その名の通り、お墓に象徴される時代です。
全国各地に巨大な古墳が造営され、多くの副葬品が埋葬されました。弥生時代の項でも触れましたが、集団生活の中で階級差が生まれるに従い、支配階級と庶民のお墓に差が出てきます。
社会がムラ→クニ→国家へと規模が拡大するにつれて、古墳もより巨大なものへと姿を変えていきました。
巨大な古墳の造営は、すなわち、大規模な土木工事です。当然多くの従事者を必要とし、また彼らを統率する権力が必要となります。
そして埴輪に代表される数多くの副葬品の作成は、そのクニあるいは国家の生産力の誇示とも言えます。
こうした古墳造営による国家権力の誇示は、支配地域の住人に対するだけではなく、他国に対しての国力の誇示という役割も担っていたのでしょう。特に、大仙古墳(少し上の世代であれば、『仁徳天皇稜』の方が馴染み深いかもしれませんね)のような巨大古墳が多く造営された4~5世紀の副葬品には、武具・馬具が多く見られることから、この時代はヤマト朝廷の日本統一の過程としての、各国家間での紛争が多くあったことが想像できます。
実際に他の史料を調べてみても、そのような時代であったことを窺い知ることができます。

 大規模な古墳が多く造営された時代の庶民のお墓については、大雑把に調べてみたところ、あまり多くの遺跡がないようです。
これは、単純に発見されていないだけなのかもしれませんが、やはり、庶民の生活も含めた多大な労力が、古墳造営事業と戦争に向けられていたから、ではないかと思います。自分たちのために、身分相応に立派なお墓を作る余力がなかった、と思います。
実際、古墳時代前期の遺跡には、弥生時代から受け継がれていた方形周溝墓群の遺跡が全国で発掘されていますし、古墳時代後期、つまりヤマト朝廷の支配が確立したであろう時代になると、古墳の規模も小型化し、変わりに『装飾古墳』と呼ばれる、凝った造りの古墳が多くなり、同時に斜面を利用した横穴式の古墳群(「群集墳」と呼ばれます)の遺跡が見られるようになります。
一部の民俗学者には「日本人は死体はきたなく、こわいものと捉え、お墓を造らず野山に捨てた」と考える方もおられるようですが、縄文遺跡・弥生遺跡と共通して見られる、「集落の中にお墓を造る」つまり、先祖とともに暮らしていく、という価値観を持っていた古代日本人が、古墳時代になって、急に価値観を180度変えてしまった、とは考えにくいです。
当時が、日本国家の統一過程であったと言うことは、当然のことですが、戦乱の時代であったと言えます。
一般民衆は、平時には権力者の古墳造営のために労役し、有事には徴兵されていたであろうことは容易に想像できます。
このため、自らのお墓に注ぐ労力がどうしても軽減されてしまうのはやむをえないことだったのではないでしょうか?だからこそ、古墳時代世紀の民衆のお墓の遺跡があまり見られないのであり、そして古墳の規模が縮小してきた古墳時代後期には、再び多くの群集墳が現れてきたのだと思います。

 そしてもう一つ、副葬品に着目してみたいと思います。
副葬品は、その生産過程は、生きている人々の目に触れます。ですが埋葬されてしまえば、これらの品々は人目に触れることはありません。単純に後世に至るまで権力の誇示だけが目的であれば、死者と共に埋めてしまうというのは、あまり合理的な思考では無いように思われます。やはり「死者の死後の生活」を考えていたためであり、それはつまり、「死後の世界」の存在を意識していた、ということに他ならないと思います。

 こうした、古墳の造営に国力を注いできた時代は、大化の改新前後んに終焉を迎えます。
その理由としては、先にも触れたように、古墳造営による権力誇示の必要がなくなったこともありますが、仏教の伝来に伴い、古墳造営から寺院建築へと力を向ける先が変わったこともあるでしょう。
そして646年に「大化薄葬令」が出されます。これは中国の例に倣い、身分ごとに埋葬方法について細かく規定された法です。この中では、庶民の埋葬方法についても規定されています。
このことは、支配階級から民衆に至るまで、死者を手厚く埋葬していたという事実を示しているのではないでしょうか?もちろん天皇のお墓よりも立派なお墓を作らせない、という目的もあったでしょう。
ですが、それ以上に、規制しなくてはならないほどに、当時の日本人が、お墓に対して情熱を注いでいた、ということを証明しているように思えます。まさに、ここに古代日本人の死生観を感じ取ることができるように、私は思えます。

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