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第三七回 「神代の物語~その11~」・・(平成21年3月1日)

神話と仏教

 これまで述べてきたような、日本神話に見られる「もの」と「たま」の世界観、二つの次元がワンセットになった「不二」の状態に究めて類似する宇宙像として、密教の「両界曼荼羅」があります。

 両界とは「もの(理)」の世界をあらわす「胎蔵界」と、「たま(智)」の世界をあらわす「金剛界」のことですが、密教ではこれを「金胎不二(理智不二・両部不二)」といって、両界ワンセットではじめて大日如来の世界が完成するとされます。
 とはいえ、日本神話のように「けがれ」や「邪悪な心」は直接曼荼羅には描かれません。しかし、明らかにそれらの存在を想定した諸尊が曼荼羅の中にいます。
 例えば、阿弥陀如来は「死穢」「生前の罪咎」を浄化させる(死者を浄土に往生させる)如来であり、不動明王は邪心を調伏する明王です。
 とはいえ、神話と曼荼羅が互いに影響しあったということではありませんし、そのような主張をするつもりもありません。ただ、二つの構造が大変よく似ている、という事実を指摘しておきます。

  九世紀初頭、弘法大師空海が、中国から密教をもたらした時、これを受け入れた人々は「全く異質な教え」ではなく、なんらかの親近感を持って受け容れたのではないか、と想像されますし、それが平安時代の密教の流行に繋がった可能性があるように思われます。むしろ空海が、両界曼荼羅を日本的に受容したとも言えるかもしれません。

 さて、「死穢」について積極的に正面から取り組んだのは、日本においては仏教でした。
 仏教には、前世・現世・来世の三世を貫く人間の因果関係を説く「業」の思想など、当時もっとも高度な文化の理論体系を持ち、「生老病死」の避けがたい人間の「四苦」から解脱する教えなどによって、「死穢」を浄化させたのは、間違いなく先祖祭祀と習合した中国仏教の受容だったことを見逃すわけにはいきません。
 その先駆的な存在が行基菩薩で、彼の活動期は『記紀』の成立時期を重なっていることは注目すべき点です。

 これまで長々と日本神話を検討してきましたが、神話とは子孫に永遠に語り継がれるべき、日本人の偉大な宝物であることを、改めて認識させられました。
 ですが、このコラムで考えていることは、神話のすばらしさを改めて強調することではなく、神話に隠された「日本人のお墓」の意味を解き明かすことです。

 多くの民俗学者、考古学・宗教学・仏教学においても、日本人のお墓の出発点として、「死の穢れ」が着目されてきています。
 「貝塚で発見された遺体」と「イザナミの死と黄泉の国の死穢」の神話を根拠に、古代日本人は「死を忌み嫌うもの」として扱ってきたと考える解釈は少なからず存在します。
 ですが、私にはそこに違和感を感じるのです。そこでさまざまな研究成果を頼りに、改めて日本神話を読み進めてみたところ、これまでに書いてきたような、「死とは再生への第一歩」として捉え、偉大なるものとして扱っているのではないか?と感ずるに到りました。
 そして、その思想が日本人のお墓に対する思い、考えに必ず現れているはずだ、と感じています。
 次回からは、もう少しお墓に踏み込んだことを書いてみようと思います。

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