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第三六回 「神代の物語~その10~」・・(平成21年2月1日)

 スサノヲは、イザナギの命に従わず、亡くなった母の国へ行きたいと泣きわめいたため、イザナギの怒りに触れて追放されてしまいます。
 スサノヲの反抗については、心理学的にもいろいろ研究されていますが、ここではスサノヲの、下記の六つの行動について、その意味を指摘します。

第一、父イザナギへの反抗は、「たま」だけの世界が異常な状態であることを告発するものであること。

第二、妣イザナミは「女」の隠喩。男神スサノヲが妣の国に行くことを渇望することは、男女の交わりによる「もの」生みの正常性への回復と、坐りの悪い「海の統治」という自らの立場の解消に繋がる。

第三、スサノヲの行動がイザナギとイザナミの「事戸い」で完全決裂したままの「もの」と「たま」の二つの次元を宇宙に内包することに繋がる。

第四、父への反抗によって、本来「たまの次元」にはなかった「ものの次元」の「第一のマイナス」をスサノヲ自らが演じることで、「たまの次元」だけの世界のバランスを修正しようとすることになる。

第五、天照と月読を抽象的な「法則」から、太陽と月という具体的なシンボルへと、質の転換を図る。

第六、父の国を追放されたスサノヲは、訪れた国々で「第二のマイナス」となる様々な試練を受ける。こうした試練が、本来の「たま」と「もの」の二元からなる宇宙に「マイナス二重構造」を再構築していくこととなる。

 第五・第六について、少しばかり補足します。

 父の国を追放されたスサノヲは、高天原に天照を訪ね、自らの身の潔白を訴えます。それを証明し終わると、一転して神殿にクソを撒き散らし、生き馬の皮をはいで機織小屋に投込んで機織女を殺すなど、理解に苦しむ乱暴狼藉を働きます。このため天照は、天の岩屋戸に閉じこもります。
 この事件は、天照の死を象徴しますが、「ものの次元」の「葬」ではなく、「たまの次元」の「隠る」と表現されます。そして天照は「ものの次元」として再生します。再生のきっかけは、アメノウズメの命のストリップで、彼女のダンス、つまり女性器の露出に感応して岩戸から出てきたことは、「もの生み」「ものの次元」を暗示しています。同時に天の岩屋戸は、再生のための子宮を象徴しています。更にこの事件によって、昼と夜が生まれます。

 さて、スサノヲは、乱行が元で、神々から爪を抜かれ髪を切られて、高天原から追放されます。このことは「たまの次元」のスサノヲの死を示します。その後「ものの次元」として「人間」に生まれ変わり、人間として出雲の国でヤマタノオロチを退治し、やがて櫛稲田ヒメと結婚して「神々」を「生み」ます。

      そして今度はスサノヲの役割を大国主命が演じ、スサノヲはイザナミの代役として、黄泉の国から大国主に試練を与え、大国主の死と再生が物語られます。そこではさまざまな「穢れ」が語られます。

 スサノヲの反抗とその後の行動、その結果として受けた苦難が、さまざまな「けがれ」(第一のマイナス)と「死穢」(第二のマイナス)にあたることは明白です。
 スサノヲは自らの意思で、「偉大なマイナス」を実現していきますが、高天原で狼藉を演じる道化師スサノヲには、沈痛な悲しみがあったはずです。

 こうしたイザナギへの反抗という「第一のマイナス」と、スサノヲの苦難という「第二のマイナス」によって、宇宙に再び「マイナスの二重構造」が構築されます。
 これはもとの「もの」「たま」が揃った宇宙秩序の完成であり、「健全な肉体に健全な心が宿った」状態です。
 こうして「もの」「たま」は、互いに補完しあいながら宇宙全体のバランスを保っていきます。

 それは人間にとっても大変重要なことです。
 日本神話のスサノヲとは、「正常な宇宙秩序の確立」を成し遂げるという「再考の宝物(プラス)」を生み出した、まことに「偉大なマイナス」であり、神話の中の「真の英雄」だったのです。そしてスサノヲが残した「正常な宇宙秩序」という「宝物」は、スサノヲの遠い子孫である現代の私達の世界に、今も生き続けています

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