Home > コラム | 墓石の原点 > 第四三回 「墓石の原点~その6~」・・(平成21年9月1日)

第四三回 「墓石の原点~その6~」・・(平成21年9月1日)

(1)ふたつのあの世
 『古事記』(以下「神話」と表現する)には、死者が逝く(行く)あの世が二つあります。
 ひとつは、天若日子が亡くなって行った天界の「高天原」です。高天原は、もともと天若日子がいたところで、この世(豊葦原中津国)へ遣わされ、亡くなってから帰っていった国ですが、この一段はむしろ、古代の葬儀を知る上で大切な説話です。
 もう一つは、亡くなったイザナミが行き、その後イザナギが訪ねた「黄泉の国」です。イザナミも、高天原から遣わされた女神ですが、自らが生んだこの世(豊葦原中津国)の地下にある黄泉の国に、イザナギによって埋葬され祀られました。
 文献上、お墓の原点を知るには、この話が起点となっており、最も重要な部分です。
(2)死者の霊魂と亡骸
 神話には、まだはっきりと死者の「霊魂」の存在が意識されてはいませんが、「ない」とも断言できません。黄泉の国でイザナミとイザナギが出会った時のイザナミは、おそらく「霊魂」と見るのが自然です。
 しかしその後の神話には、死者が活躍する場面はありませんので、神話ができたころにはまだ、はっきりとした霊魂観はなかったようです。明確に死者の霊が意識されるのは、もっと後の時代です。
 黄泉の国では、亡骸とその穢れが重要な問題となっています。
(3)豊かなものをもたらす「死の穢れ」
 神話を構造から読み解くことで、死・瀕死・死の穢れは人々に豊かなもの(豊饒な実り・工具・技術など)をもたらす「偉大な穢れ」であることがわかりました。これは「日本人のお墓」を考える上で大変重要です。
 これまでにように、神話のイザナミの死を「きたない・こわい・たたる」と捉えるか、それとも豊かなものをもたらす(再生する)価値ある「偉大な穢れ」と見るかでは、天と地ほどの違いが出てきます。
 従来謂われてきた説とは正反対の結果ですが、神話や考古学の発見などから総合して判断すると、「偉大な穢れ」説は十分な妥当性があります。
 神話では死の穢れを「偉大な穢れ」と見るので、当然、埋葬の仕方やお墓の意味も、従来の説と違ってきます。
(4)「葬り」とは「鄭重にお祀りして埋葬する」こと
 従来の、「死者は汚くて怖いもの」という考え方を葬儀の起点にすると、「日本人は古代から死体を野山に遺棄した」ことになります。
 前にも述べたとおり、この説の根拠としては、
 ①貝塚での遺体の発見や抱石葬
 ②神話に見られる黄泉の国の穢れ
 ③万葉集の散骨の挽歌や延喜式の触穢
 ④中世の諸文献や絵草子類
 ⑤両墓制での捨て墓
 ⑥民俗学の葬送習俗語彙
などがあげられてきました。
 しかし①と②は、これまで見てきた通り該当しません。
 ③は、東京大学の堀一郎教授が指摘されたように、『万葉集』の中の挽歌には、確かに散骨とみなされる歌もありますが、同時に忘れてはならないのが、「鄭重に埋葬してお祀りした」歌もあるということです。『万葉集』の挽歌は、ともすると散骨や遺棄した亡骸の典拠とみなされますが、それでは片手落ちの引用となります。
 ④は、ほとんど戦乱・天災などの異常時での出来事を記録したものであったり、ことさら死の無情さを誇張した絵柄であるため、日常での民衆生活(埋葬習慣)を正確に描写しているとは断定できない点が、あまり考慮されないままに使われています。
 ⑤は、室町時代以降物もであること、また地域も関東近畿が中心で、全国的な習俗ではありません。
 ⑥は、これが古代からの習俗かどうか、時代考証がほとんどされていないので不明です。
 以上の理由からこうした考え方を前提にはしませんでした。しかし、だからといって、これらすべてを否定するわけではありません。
 本居宣長の『古事記伝』や法政大学の益田勝美教授の解釈、それに三内丸山遺跡・吉野が里遺跡の列状墓群、あるいは『魏志』倭人伝の卑弥呼の葬送と埋葬の記述などから判断して、古代の日本人は「死者を丁重に埋葬してお祀りした」と考えて、その考えに基づいて書き連ねてきました。

Home > コラム | 墓石の原点 > 第四三回 「墓石の原点~その6~」・・(平成21年9月1日)

 

このページのTOPに戻る