Home > コラム | 神道について > 初詣

初詣

元旦を迎え、初詣に出かける人も多いだろう

ここ最近のパワースポットブームに乗って、神社へ参拝する人々も年々増加の傾向にあるようだ

 

前述させていただいたことがあるが

神社は、寺やお墓と違い

先祖が奉られているわけではない

神道の信仰にもとずき作られた祭祀施設である

 

そして、この初詣という慣習が出現してきてから

まだ日が浅い

 

元々は「年篭り」と呼び

大晦日から元日にかけて、家長が恵方の社寺に泊まり込む風習があったが

明治以降には、家長に限らず

元日に参拝する風習となり

鉄道会社も、それに便乗する形で路線を拡大していった

 

恵方の概念も消えていき

参拝する寺社に規定もなくなり

最寄りの…または、好みの寺社に出向き

一年の計を願うことが習慣となってきた

 

そもそも、参拝とは

神に我欲を押し付けるものではなく

そこに存在する神に

様々な事柄に感謝することである

 

しかし、昨今の初詣に代表される参拝は

何かを祈願したり、神に我欲を押し付ける場へと変化してきている

 

一年に一度しか参拝しない人も多く

その参拝マナーには辟易することも否めない

 

境内は、人に溢れ

神の通り道も塞がれ

そこに神が存在するような神々しい空気も感じることが難しい

 

その上、我欲の達成を願う人々の多さで

神も、正月期間中は不在のようにも感じる

 

私自身は、上記の理由から初詣を習慣にしてはいないが

 

その歴史の浅さが理由ではなく

参拝する人の心持ちの問題も多い

 

風習や文化に関しては

歴史の長さが重要ではなく

その内容が問題になってくる

 

歴史の浅い習慣であっても

それが大きな意味を成すものであれば

問題ではないだろう

 

私利私欲の祈願達成が習慣になってしまっては

神道とは、真逆の方向へ向かうことになる

 

私は特定の宗教を信仰してはいないが

 

神と向かい合う時

その時の流れを肌で感じ

日本人として、この国に生を受けたことに感謝し

自分が「今、ここ」にいることを今一度認識し

繋がりを持って次世代へ受け継ぐことを

その恩返しとして行うことを誓う…

 

それが、日本人としての心であると思っている

Home > コラム | 神道について > 初詣

 

このページのTOPに戻る