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雄略天皇の強権と吉備氏の反乱

5世紀後半になると朝鮮半島は複雑な時代になっていた
高句麗が百済と新羅を圧迫していた

日本書記の中では
この朝鮮半島の3国よりも日本が上であると書かれていて
雄略天皇の外交の様子を伝えている

百済とは友好的な関係であったが
新羅との関係は複雑だった

高句麗に裏切られた新羅を助け
その見返りとして新羅王に天皇に逆らわないように促した
しかし、従わない新羅に対し
紀小弓宿禰(きのおゆみすくね)らを派遣し討たせた

日本は朝鮮半島に対し領土的野望を持っていたが
日本軍の内紛が原因で失敗に終わることになる

やがて高句麗が百済の首都ソウルを陥落させて
百済は滅亡の危機を迎えることになる

雄略天皇は久麻那利(こむなり)を送って復興させた
そして日本にいた末多王(またおう)に百済の王に命じた

雄略天皇の時代は独裁的な王権だったと日本書記は伝えている
気に入らないことがあると
すぐに臣下を処刑してしまう恐怖の天皇として
強権を振るう専制君主制だった

その専制君主制に対して反抗したのが岡山県を支配していた吉備氏だった
吉備氏は、孝霊天皇の皇子である吉備津彦(きびつひこ)を祖先に持ち
日本武尊、応神、仁徳天皇に妃を出すなどした大豪族だった

雄略天皇の専制君主に不満を抱いていた吉備臣前津屋(きびのおみさつきや)は
その鬱憤を晴らすために
強い鶏を自分に見立て、弱い鶏を雄略天皇に見立てて
鶏たちを戦わせていた

このことは雄略天皇の怒りに触れ
即座に前津屋一族は葬られてしまう

雄略天皇は、怒りの矛先をその同族である田狭にも向け
田狭を半島南部の任那に追いやり、妃の雅媛(わかひめ)を奪った

それを知った田狭は新羅と共に雄略天皇への反乱を企てた

雅媛が吉備系の皇子である星川を立てて反乱を起こす
吉備氏はこれを支援したが
大伴室屋(おおとものむろや)によって鎮圧される

このことによって大和王権成立の時からの大豪族だった吉備氏は没落した

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