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直系ではない継体天皇の即位①

第25代天皇の武烈天皇がわずか18歳で崩御したことで
天皇直系の皇位継承者が誰もいなくなってしまった

これは大和王権が始まって以来の大きな事件だった

武烈天皇の時代に平群氏を滅ぼして朝廷の後ろ盾となった
大伴金村(おおとものかなむら)は
仲哀天皇の5世にあたる子孫の倭彦王(やまとひこおう)が丹波にいることを知り
時期天皇になってもらうために兵を使って迎えに行かせた

しかし、倭彦王は兵を見るなり話も聞かず
殺されてしまうと勘違いをして失踪してしまった

倭彦王は困ってしまい
次の天皇候補者とし応神天皇の5世である北陸にいる男大迹王(おおどのおう)を立てることにした

男大迹王は、この申し出に最初は難色を示していたが
ついに臣下の願いを聞き入れて承諾した

男大迹王は河内の樟葉宮(現在の大阪府枚方市)で即位
第26代の継体天皇が誕生した

皇位継承者が不在という前代未聞の危機も乗り越えることができた

応神天皇の5世という
直系とは縁遠い天皇の即位だったが
そのことを補うかのように
継体天皇は皇后に仁賢天皇の娘である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を迎えた

この継体天皇の体制は
北陸の豪族が攻め上がり、従来とは異なる新王朝を設立したという説もある

継体天皇は樟葉の次に筒城(現在の京都府京田付近)に遷宮して
山城の乙訓(現在の京都府長岡京市付近)に移り
その後、大和の磐余(現在の奈良県桜井市)に宮を置いた
大和に入ったのは即位から20年もの月日が経っていた

旧王朝を倒すのに時間がかかってしまったため
大和入りが遅れたという

しかし、この継体天皇は日本書記の中では扱いが弱い
新王朝を創設した華々しい様子では語られてはいない
北陸の豪族が朝廷に居座ったようでもなく、武烈天皇の臣下がそのまま残っているので
新王朝を創設したという説にもいろいろ疑問が残る

直系ではない継体天皇の即位に対し
快く思っていない勢力もあったようだが
継体天皇は、旧勢力を脅かすようなこともなく
手白香皇女の婿扱いという地味な存在だったかもしれない

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