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乙巳の変①

推古天皇が崩御した後
皇位の継承をめぐって田村皇子(たむらのみこ)と聖徳太子の息子の山背大兄皇子(やましろのおおえのみこ)が対立した

父である蘇我馬子から権力を継承した蝦夷(えみし)は
反抗的な甥の山背大兄皇子よりの蘇我宗家に従順である田村皇子を推して
第34代の舒明天皇とした

その舒明天皇が崩御すると
蝦夷の子である蘇我入鹿は山背大兄皇子を無視して皇后の宝皇女(たからのひめみこ)を第35代の皇極天皇として即位させた

この皇極天皇は敏達天皇の曾孫にあたるが
皇統からは遠く、本来は天皇になれるような身分ではなかった

皇極天皇は蝦夷と蘇我入鹿親子にとっては操り人形のような存在で
逆らったら殺害も厭わない様子で
その後、蝦夷の甥で舒明天皇の子である古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)と
取り換えでもいいと思われていた存在だった

実際に、古人大兄皇子を天皇にする準備を陰で進めていて
皇極天皇は、蘇我氏の政権私物化のための存在だった

その政権私物化の態度は度を超すものがあり
先祖を祀る祖廟の完成祝の際に天皇家にだけ許されていた舞を群臣たちに披露してみたりと
天皇家さながらに振る舞っていた

自分たちの墓を作る時も豪族たちの私有民を勝手に使ったり
天皇の宮を見下ろす場所に蘇我親子の豪邸を並べて建てたりしていた
その豪邸を宮門と呼ばせたり、自分たちの子供を王子と称したり
完全に皇族気取りの態度だった

ついに蘇我入鹿は古人大兄皇子を天皇にするために
山背大兄皇子の殺害を計画しはじめた
皇極天皇に見切りをつけはじめたのだった

蘇我入鹿は山背大兄皇子が住む斑鳩宮を襲った
山背大兄皇子は妻子を連れて生駒山に逃げたが
法隆寺に戻ったところを兵に囲まれ自害した

山背大兄皇子が自害したとき
突然空に舞楽とともに五色の幡と絹笠が現れ
それが黒い雲に変わり、人々は恐れおののいた

蘇我入鹿の暴走を蝦夷は激しく責め立てたのだった

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