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武家が繁栄した理由

長子相続制度があたりまえになっていた中世のころでも

親は次の子どものために分け与える土地を探し開墾していくような苦労を重ねてきた

 

中世の武蔵国(東京・神奈川・埼玉)に『武蔵七党系図』という

かなり詳しい系図が存在している

その系図を紐解くと

有力な武士の比較的長生きした人は

三戸、四戸の分家を創建していることがわかる

 

まだ若く元気なうちに隠居し

長子に嫁を迎えて本家を渡し

新たに開墾に着手するか、縁故のある田畑を引取るなどして

次男、三男以下の家を作っていったと思われる

 

「七党」というのは

七党の大きな系列が対立もしていたが

それらが入り混じり縁組をし、助け合っていたとも思われる

 

新地の開発は早いもの勝ちだった

最初から縄張りのようなものがあったわけではなく

開墾した者の所有となるのが慣わしであった

そうして少しずつ、本家から遠く離れたところまで進出していったのである

このころには未開の土地が十分にあった

それらを開拓していった親心が

田舎の繁栄を支えていったのであろう

 

しかし、いつまでも未開の地が残っているわけではなく

土地が少なくなってくると

血眼になって境を争うようなことが起こってきた

そうなると相続者以外の地位は目に見えて悪くなってきたのである

 

不平があり、野心のある若者などは

家を飛び出し、チャンスを探しに旅に出た

田舎では、娘の行き先に苦慮していたり

もう少し一門を大きくしたいと願う家も多く

京都などから出てきた者は

家柄や由緒も人に知られていたので

一段と受けが良かった

 

政治上の背景も手伝って

あっという間に、九州から東北まで勢力を広めていったのである

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