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第二一回 「無縁仏からみる社会の歪み」・・(平成19年11月1日)

9月23日の北海道新聞に、下記のような記事が掲載されました。

 

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(以下抜粋)

 事故や病気で亡くなっても縁者に引き取られない無縁仏が、道内の都市部で増えている。札幌市では、無縁仏として引き取った遺体の数が昨年度、過去最多になった。秋の彼岸、だれにも供養されることもなく眠る死者たち。遺族に代わって遺体を弔う葬送業者は、言いようのないやりきれなさを感じている。「親族のきずなはどこに行ったのか」-。  札幌市中央区のある葬儀会社の職員は、穏やかな表情で眠る80代の女性をゆっくりとひつぎに移した。
 同社は、札幌市の委託を受けて無縁仏を弔う唯一の業者だ。
女性の親族が遺体の引き取りを断ったため、同社が市役所への手続き、火葬、墓地までの遺骨の運搬を代行した。
 札幌市が2006年度に無縁仏として引き受けた遺体の数は、統計を取り始めた1992年以来最多の25体。札幌に次ぐ大都市の旭川市も21体と、過去5年で最多になった。
道保健福祉部の調べでは、札幌、旭川、函館を除く全市町村では計16対にとどまっており、都市部での多さが際立つ。
 もともと天涯孤独だったり、身元がわからなかったり理由はさまざまだが、最近は「家族や親類が引き取りを断るケースが、以前より目立つようになった」 (旭川市福祉総務課)という。
 親族の人間関係が希薄になっている-。同社職員は、そう考えざるを得ない光景を何度も目の当たりにした。遺体を前にして「私は引き取りたくない」「おれもいやだ」と問答している親族たちの姿。何のためらいもなく、市に引き取りを頼んだ人もいた。「社会のゆがみを垣間見た思いがしましたね」。職員は振り返る。
 札幌市の場合、遺骨は同市豊平区の平岸霊園の納骨堂に三年間保管し、引き取り手が現れなければ、墓を持たない遺骨を納める隣接の「納骨塚」に合葬する。
この間に、縁者に引き取られている遺骨は「極めて少ない」(札幌市保護指導課)という。

 平岸霊園の納骨塚には8月末現在、2,557体が納められ、うち256体の無縁の霊が眠っている。

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 無縁仏とは、亡くなった人を弔う親族縁者が途絶えてしまったことで、お墓の継承者がいなくなり、 ]また、後に入る人も墓参する人もいなくなってしまったお墓のことです。
 高度成長期に、国内における人の移動が激しくなり、これに伴って、地方に残されたお墓が多くなりました。
はじめの頃は休みを利用して参拝に来ていた親族も、移住先での生活が長くなるにつれて、徐々に足が遠のき、やがて守る人も途絶え、荒廃してしまったお墓が数多く見受けられます。
 また、逆に都会で生活している人にとっても、少子化に伴って、跡継ぎがいなくなってしまった、あるいは子孫が離れて生活しているなどの理由で無縁仏となってしまったお墓も多く見られ、こうしたお墓は、東京都内の主要霊園だけでも、全体の1割を超えるといわれています。
 平成11年3月に改正された「墓地、埋葬等に関する法律」では、墓地の使用者が死亡、あるいは管理料未払いのまま3年間放置した場合、「無縁墳墓に関する権利を有する者に対し、1年以内に申し出るべき旨を官報に掲載し、かつ無縁墳墓等の見やすい場所に設置された立札に1年間掲示して公告し、その期間中にその申し出がなかった旨を記載した書面」を当該役所に提出すれば無縁墓地を整理することができるようになりました。
 従来は、墓地使用者と死亡者の本籍地、住所地の市町村長に照会し回答を得ること、また、2種以上の新聞に3回以上公告を出し、申し出がなければ処理することができるという流れだったことを考えると、大幅にシステムが簡素化されたといえます。
 この背景には、上記のような無縁墓地の増加が、深刻な問題になってきたという事実があるのです。

 このような守る人の絶えたお墓の他に、さらに深刻な問題として、冒頭の北海道新聞記事のような、引き取る親族がいない、あるいは親族が遺体引取りを拒否するといった事例が増えてきていることが挙げられます。
 これにはさまざまな事情が考えられます。
 たとえば、葬儀費用の問題もあるでしょう。データは古いのですが、1990年代中期のアメリカの葬儀費用は、当時のレートで平均約44万円、ドイツの場合は約18万円です。ところが、日本の場合は、日本消費者協会のアンケート調査(「葬儀についてのアンケート調査」平成15年9月)によると平均236万円という金額になります。この数値の信憑性を疑う意見もあるものの、それでも各葬儀社のサイトを拝見しますと、最低でも100万円は必要だな、という印象です。
加えて、日本は世界的に見ても、少子高齢化の進行が進んでいますので、遺族一人当たりの負担も欧米に比べてはるかに大きいと言えるでしょう。
また、香典は「本来、葬儀費用をたくさんの遺族知人が分担してまかなう」ことが目的だという話を耳にしたことがあります。
社会生活の変化に伴い、地域に密着しない生活、親族と遠く離れた生活が当たり前になってくると、変な話ですが、それだけ、香典の金額が減ってしまうことにもなります。
 まさに現金な話ですが、こうした金銭的な負担の問題が、まったくないとは言い切れないでしょう。

 もちろん、他にもさまざまな問題もあります。地縁血縁の薄れなど、人間関係の変化というのは、やはり看過できない問題なのだろうと思います。こうした問題は、社会の変化や考え方の変化など、さまざまな要因が考えられるのでしょう。その善し悪しを判断することは、私にはできません。
 ただ、葬儀に関わる業者の一人として、時代の要請に応じた葬儀について、考えていくしかないのだと思います。

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