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第五回 「仏教のお話 その1」・・(平成18年7月1日)

、ちょうどワールドカップで盛り上がっている時期ですので、まずはサッカーの話から。

 サッカーが日本にはじめて入ってきたのは、恐らくは明治時代のことかと思います。その後は、大学体育会や学校クラブの範囲に、一部の企業のクラブの中で、趣味的におこなわれてきたスポーツだったと言っていいでしょう。それが日本という国の中で、最初に注目を集めたのが、メキシコオリンピックの銅メダル獲得じゃなかかったかと思います。そしてその後の人気低迷を経て、再度注目を集めるようになったのは、Jリーグの発足でした。そのあとはワールドカップ出場などで認知度を上げ、今や日常会話の中でサッカーが当たり前に語られる時代になったと思います。

 ものすごいこじつけになるのかも知れませんが、仏教の日本伝来の歴史も、このサッカー普及の歴史と似たような経緯を経ていると思います。

 仏教がはじめて日本に伝えられたのは、教科書では西暦538年とされています。当時入ってきた仏教は、仏教にどっぷりはまってしまったマニア(僧侶)や、仕事柄や立場上の関係で知って置いた方が良いという立場の人達(皇族や貴族)の間のみで、知られていたというだけの存在で、一般の民衆にとっては「なにそれ?」というレベルのものです。
 もちろん、そんな一部のマニアによって語られていた仏教ですが、そんな中でも世の中に知られた存在はいました。例えば、奈良の大仏建立の資金集めで頑張った行基とか、四国八十八ヶ所を作ったとされるなど、色んな伝説が残っている弘法大師空海などがそれで、彼らはメキシコ代表のエースストライカー、釜本みたいな存在だと言えるでしょう。行基や空海は、民間信仰の対象として比較的知られた存在でしたが、じゃ仏教はどうかというと、まだまだ認知度は低かったと思います。

  「仏教って知ってる?」
  「知らない」
  「ほら、最近よく聞く、空海さん」
  「あ~はいはい。なんか聞いたことあるね」
  「その空海さん、仏教のお坊さんってヤツなんだわ」
  「へぇ~そうなんだ」
  「その空海さん、ちょっとすごい人なんだって。俺の知り合いもすごく世話になったみたいでさ」
  「あ、そうなの?俺も一度お世話になってみたいよ」

 実際にそんな会話をした人が居たかどうかは知りませんが、一般の間ではその程度の認知度だったのだろうと思われるわけです。
 その後は、正月になると高校サッカーが深夜に放送されてみたり、天皇杯決勝をNHKが放送したり、という程度で、時々「あ、サッカーだ」と気付く程度の時代が続きます。同様に、平安時代の仏教も、時々坊主頭で墨染めの衣を纏ったおっさんを見かけるとか、武装した坊さん(僧兵)どもの活動でとばっちり食う程度のもんだったのでしょう。

 では、仏教史に於ける「Jリーグの発足」に当たるのはいったいいつの頃のことなのか?といいますと、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、となるんじゃないでしょうか。
 この時代は、全国的な規模で戦争が頻発しています。いわゆる源平の合戦ですね。源平絡みで戦場になった場所というと、京都周辺のみならず、東北地方・北陸・関東・神戸・四国・北九州と、全国規模で戦争しています。多分これだけの規模の戦争が起きたのは、日本史上ではじめてのことだろうと思います。
 加えて、平安初期に確立した律令体制による全国統治は、この時代にはすっかり崩れ、悪党と呼ばれる武装集団が横行したり、自衛団としての武士が誕生したり、と、庶民生活には不安が一杯だし、先のことはわからない毎日だったと思います。
 鎌倉時代になっても、鎌倉幕府自体はいつの間にか傀儡になってしまい、身近な支配者は、「まろ」からいつも刀を腰に差した武士になりました。ちょっとおかみに逆らえば、その場で切り捨てられかねないわけです。おまけにそのうち、外国の軍隊が攻め込んできて、日本存亡の危機を迎えてしまいます。
 そんな不安いっぱいな毎日の中に、ひとときのカタルシスを与えてくれたのが、新興仏教の各宗派だったんじゃないかと思います。

 「ひたすら『南無阿弥陀仏』と唱えて今を頑張っていれば、今の人生じゃダメかも知れないが、死んだ後や生まれ変わったときにはいいことあるさ」とは、法然上人の教え。
 「いやいや、師匠はそう言うけど、今の人生をがんばり切れてない人、いや悪人だって、心を込めて『南無阿弥陀仏』一回でも唱えれば、死んだら仏さんになれるし、次の人生だって良いことあるよ」という親鸞上人。
 「まぁとにかく念仏唱えて踊ろうぜい」と言ったのは一遍。
 「ひたすら座禅を組んで自分を見つめ直してみなさい。そうすれば、なにかが変わるよ」と座禅を広めた栄西上人や道元上人。
 「『南無妙法蓮華経』と唱えて、大日如来におすがりすれば、元寇などおそるるに足りないわい」と日蓮上人。

 専門家やそれぞれの宗派に帰依されている人達からは非難囂々浴びそうですが、一般庶民から見れば、彼らはそんな存在だったのではないか?と想像されます。

 ともかく、彼らの活躍によって、仏教が日本人の生活文化の中に浸透しはじめるわけですが、人間というものは、わからないことをわかろうとする時に、わかっていることで喩えて理解しようとする場合があります。曰く「ペレとかマラドーナってのは、日本の野球でいうと長島と王と張本を合わせたくらいの人気と実力を持った選手だったんだ」とか、「プラティニは、言ってみればエースで4番みたいな存在感のある選手だったんだよ」とか、「リケルメはアルゼンチン代表の中では『王様』なんだよ」とか。それが正しい比喩かどうかは別としても、知らない人達はこの喩えを聞いて「何となくすごい選手なのだな」と理解できるわけです。
 仏教を知らなかった人達が、仏教を理解する段階では、当然そういう風に理解しようとする人達はいたと思いますし、広める側にとっても、わかりやすくするために、このような比喩を使う場面は多くあったと考えられます。仏教の場合は、それまでに民間信仰として定着していた自然崇拝(いわゆる神道)を利用して理解したり説明されることが多かったのでしょう。そういった日本の仏教信仰のスタイルを、教科書的には「神仏混淆」といった言葉で表現してますね。

 ところで、仏教はインドの釈迦様が興した宗教だということは、多くの方が知っていることでしょう。でも、日本に伝わった仏教は、お釈迦様の教えが直接やってきたわけではありません。中国を経由して伝わってきています。ということは、日本人に理解され広まっていく段階で、日本人が理解できるような形に変化したのと同様に、中国で広まった仏教も中国人が理解できる形に変化して受け入れられてきたはずです。

 次回は、中国で広まった仏教は、もともとの仏教とはどう違っているのか、を書いてみたいと思います。

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